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2011年11月

インド浪花節

インド浪花節
インド浪花節
インドの法友に、のど自慢の僧侶達がいる。
電子オルガン(日本製)を弾きながら、よく通る美声で
高らかに仏教聖歌を唄い上げる。
ブッダの教えを歌詞にのせ、あるいはアンベードカル
博士を讃歎し、心の底から熱唱する彼らの歌声には、
原始の力というべきか、剥き出しの魂を感じる。
音楽的には、古典的インド声楽をベースにイスラム教
スーフィズムの影響も聞いて取れる。
とりわけ高音部での声の張り方などは、カッワーリー
(イスラム教の合唱ゴスペル)によく似ている。
そもそもスーフィーは、インドにイスラム文化が入って
来た後、瞑想や『神人合一』思想等のインド的要素と
混淆して生み出された、とする説もある。
しかも彼らの歌には、アジア的な、演歌や浪花節にも
通じる“こぶし”や“泣き”が利いている。
「いい声してるねえ。ボリウッド・ソングとかもイケるん
じゃないの?」
と聞くと、いやいや、と手を振って否定。そして片目を
閉じて「ないしょ」のサインをしたあと、袈裟を指差して
ニヤリと笑った。ははあ、なるほどね。暗黙の了解。

さて、現代インド仏教の聖歌は当然のことながら近年
になって作られたものばかりだ。
1956年10月、アンベードカル博士によって仏教復興が
宣言されるまで、釈尊の国の仏法は地に伏する龍の
如く、その姿を消していた。いわゆる“お釈迦様の国”
といったイメージは、裕福な高位階級のサロンの嗜み、
あるいは知的玩具に過ぎなかった。
しかし臥龍は秘かに命息を保ち、地を割って天へ昇る
瞬間を待っていたのだ。アンベードカル博士の登場と、
日本から佐々井秀嶺師がやって来るその日を。
すなわち、仏典にいうところの、『教機時国』の相応だ。
そしていまや解き放たれた龍は、ナグプール(龍宮)を
中心に獅子吼、いや龍吼を轟かせているのである。

以下はあくまで私見だが、復活したインド仏教の音楽
には、佐々井秀嶺師の存在が大きく関わってるように
思える。なぜなら佐々井師は青年時代、浪曲師として
高座を勤めた経験を持つからだ。
理屈でなく、情感で人々に訴える「うたごころ」。

だからこそインド民衆は、本能的直感から“情”の先に
ある慈悲を知り、佐々井師と共に立ち上がったのでは
ないだろうか。

法音

法音
法音
「現代の琵琶法師」
・・・ふとそんな言葉が浮かんだ。
先週末、千葉県松戸アートラインプロジェクトの一環
として、バンドウジロウ氏による路上ライヴが行なわ
れた。ギタリストでありタイポグラフィー作家でもある
バンドウ氏は、ここ数年「仏教」をテーマにした音楽
表現に取り組んでおられ、昨年、拙が編者を勤めた
佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)が
縁となり、現在は御一緒に活動もさせて頂いている。
<バンドウジロウ氏のHP>

http://geppei.com/05_bando/jb_index.html
<二人組ユニットの動画>
http://youtu.be/bKi-2WCZ31k

この日はバンドウ氏のソロ。
ギター一本で音世界を紡ぎ出すインストから始まり、
『四法印』『開経偈』『般若心経』などをブルース調に
アレンジしたナンバーの弾き語り。
「仏教ゴスペル」
この呼称は、かねてから折りに触れて拙が口にして
いた造語だが、バンドウ氏が採用してくださった。
〝gospel〟は〝god spell(福音)〟の略称といわれ、
これをそのまま仏教に当てればbuddha spellだろうが
略すと「ブスペル」になってしまい、余りにも格好悪い
ので、折衷したわけだ。

かつてアフリカ大陸から人身売買でアメリカへ連れて
来られ、虐げられていた黒人奴隷が、悲惨な現実の
中で神の栄光を歌い上げた、ゴスペル。
わが国の仏教史でいえば、琵琶法師や節談説教師、
説経浄瑠璃師などが、その役割であったろう。
音楽的には、ゴスペルは陽律の曲が多いのに対して
日本のそれは陰律ばかり、という民族性や情緒性の
違いはある。だが、信仰の大衆化・精神の原動力化
という点では共通する面がある、と拙は思っている。
民衆が渇仰したみほとけは、壮麗な伽藍に盤踞する
紫衣の者共の道具ではなく、田んぼの畦道、街道の
辻で哀しい旋律を奏でる楽師達の喉や指先に宿って
いたのだと思う。

バンドウ氏は、ギタリストとして武道館のステージにも
立った方である。
その氏がいま、路上からメッセージを放った。
音粒に、みほとけを宿して。

次の100年

先週末、千葉県の松戸市立博物館にて開催中の、
『松戸の美術100年史』

Mastudonobijutsu100nenshi
http://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse/exhibition.html
を拝観に行った。
普段、アート方面とは縁遠い乱暴者の拙ではあるが、
なにせ季節は芸術の秋、また友人が作品を出展して
いることもあり、微妙な場違い感を懐きつつも出掛け
ていった。今にして思えばスケッチ・ブックの一冊でも
小脇に抱え、渋くベレー帽とか被っていけば良かった
のではないか、と悔やんでたりする。


冗談はさておき、松戸は十五代将軍徳川慶喜の弟で
最期の水戸藩主となった徳川昭武が住んだところ。
慶喜がカメラ好きだったことはつとに知られているが、
昭武も当時の松戸の風景を多く写真に納めた。
私感ながら、彼ら兄弟が権力の座を負われ写真三昧
に明け暮れた日々へ思いを馳せる時、貴人流離譚の
趣もあってか、切なさを禁じえない。それまでは民衆を
虐げる側にいた彼らにとって、はじめて触れた民衆の
タフネスさは、驚異だったのではないか。その時、生ま
れて初めて「生きることのリアリティー」を感じたのでは
ないか、などと空想してしまう。
写真が「光を切り取ること」だとすれば、昭武が松戸で
切り取りたかった光とは、眼前に広がる現実そのもの
だったはずだ。城の高楼から見下ろした風景ではなく、
360度おのれを取り囲む、リアル。


また、松戸近郊にはかつて縄文時代の遺跡が存在し、
見事な意匠の土器が発掘されている。
「ちぇっ、なんかこのアサリ、身がちっせえなあ」
と、縄文人が日常に投げ捨てた貝殻が、貝塚となって
いにしえの息吹を現代に伝える。


さて、現代のリアル。福島第一原発の事故で千葉県の
各所にはホットスポットがある。
現代の権力者達は徳川昭武ほどのリアリティーもなく、
それどころか、貝塚ならぬ〝核塚〟を末代まで残そう
としている。
はたして次の100年史は・・・、との思いがよぎった。

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