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法音

法音
法音
「現代の琵琶法師」
・・・ふとそんな言葉が浮かんだ。
先週末、千葉県松戸アートラインプロジェクトの一環
として、バンドウジロウ氏による路上ライヴが行なわ
れた。ギタリストでありタイポグラフィー作家でもある
バンドウ氏は、ここ数年「仏教」をテーマにした音楽
表現に取り組んでおられ、昨年、拙が編者を勤めた
佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)が
縁となり、現在は御一緒に活動もさせて頂いている。
<バンドウジロウ氏のHP>

http://geppei.com/05_bando/jb_index.html
<二人組ユニットの動画>
http://youtu.be/bKi-2WCZ31k

この日はバンドウ氏のソロ。
ギター一本で音世界を紡ぎ出すインストから始まり、
『四法印』『開経偈』『般若心経』などをブルース調に
アレンジしたナンバーの弾き語り。
「仏教ゴスペル」
この呼称は、かねてから折りに触れて拙が口にして
いた造語だが、バンドウ氏が採用してくださった。
〝gospel〟は〝god spell(福音)〟の略称といわれ、
これをそのまま仏教に当てればbuddha spellだろうが
略すと「ブスペル」になってしまい、余りにも格好悪い
ので、折衷したわけだ。

かつてアフリカ大陸から人身売買でアメリカへ連れて
来られ、虐げられていた黒人奴隷が、悲惨な現実の
中で神の栄光を歌い上げた、ゴスペル。
わが国の仏教史でいえば、琵琶法師や節談説教師、
説経浄瑠璃師などが、その役割であったろう。
音楽的には、ゴスペルは陽律の曲が多いのに対して
日本のそれは陰律ばかり、という民族性や情緒性の
違いはある。だが、信仰の大衆化・精神の原動力化
という点では共通する面がある、と拙は思っている。
民衆が渇仰したみほとけは、壮麗な伽藍に盤踞する
紫衣の者共の道具ではなく、田んぼの畦道、街道の
辻で哀しい旋律を奏でる楽師達の喉や指先に宿って
いたのだと思う。

バンドウ氏は、ギタリストとして武道館のステージにも
立った方である。
その氏がいま、路上からメッセージを放った。
音粒に、みほとけを宿して。

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