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インド浪花節

インド浪花節
インド浪花節
インドの法友に、のど自慢の僧侶達がいる。
電子オルガン(日本製)を弾きながら、よく通る美声で
高らかに仏教聖歌を唄い上げる。
ブッダの教えを歌詞にのせ、あるいはアンベードカル
博士を讃歎し、心の底から熱唱する彼らの歌声には、
原始の力というべきか、剥き出しの魂を感じる。
音楽的には、古典的インド声楽をベースにイスラム教
スーフィズムの影響も聞いて取れる。
とりわけ高音部での声の張り方などは、カッワーリー
(イスラム教の合唱ゴスペル)によく似ている。
そもそもスーフィーは、インドにイスラム文化が入って
来た後、瞑想や『神人合一』思想等のインド的要素と
混淆して生み出された、とする説もある。
しかも彼らの歌には、アジア的な、演歌や浪花節にも
通じる“こぶし”や“泣き”が利いている。
「いい声してるねえ。ボリウッド・ソングとかもイケるん
じゃないの?」
と聞くと、いやいや、と手を振って否定。そして片目を
閉じて「ないしょ」のサインをしたあと、袈裟を指差して
ニヤリと笑った。ははあ、なるほどね。暗黙の了解。

さて、現代インド仏教の聖歌は当然のことながら近年
になって作られたものばかりだ。
1956年10月、アンベードカル博士によって仏教復興が
宣言されるまで、釈尊の国の仏法は地に伏する龍の
如く、その姿を消していた。いわゆる“お釈迦様の国”
といったイメージは、裕福な高位階級のサロンの嗜み、
あるいは知的玩具に過ぎなかった。
しかし臥龍は秘かに命息を保ち、地を割って天へ昇る
瞬間を待っていたのだ。アンベードカル博士の登場と、
日本から佐々井秀嶺師がやって来るその日を。
すなわち、仏典にいうところの、『教機時国』の相応だ。
そしていまや解き放たれた龍は、ナグプール(龍宮)を
中心に獅子吼、いや龍吼を轟かせているのである。

以下はあくまで私見だが、復活したインド仏教の音楽
には、佐々井秀嶺師の存在が大きく関わってるように
思える。なぜなら佐々井師は青年時代、浪曲師として
高座を勤めた経験を持つからだ。
理屈でなく、情感で人々に訴える「うたごころ」。

だからこそインド民衆は、本能的直感から“情”の先に
ある慈悲を知り、佐々井師と共に立ち上がったのでは
ないだろうか。

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コメント

強烈にロックですね!

>cheemaru様
いやぁ本当に彼らはROCKです(o^-^o)
ストレートで、熱くて、ゴツゴツしてるけど柔らかい。どんな評論や冷笑も吹き飛ばすパワーと愛がありますね。
一度、写真上(手前)の彼と「日印対抗☆声明合戦」をやったことがあるんですが、声量と小技ではややリード出来たんですが、ハートで負けました。しかもそのあと一緒に食べたカレーが激辛で、こっちの喉が腫れ上がってしまいました。
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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