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2012年2月

必ず生きて

必ず生きて
必ず生きて
「助けて下さい、助けて下さーい!」
青年僧は叫んだ。
時は1963年9月、場所は晩夏の乗鞍岳。
僧の名は佐々井秀嶺。当時28才。
恋に悩み求道に行き詰まった彼は、自死の覚悟で
山頂へ至った。ちなみに自殺未遂はこれで三度目。
何事も突き詰めねば納得しない気性の佐々井青年
にとって、生きること即ち苦悩との闘いだった。
乗鞍の頂きで彼を待っていたものは、肌を突き刺す
寒さ。死の予感。自殺するつもりでそこに至ったが、
肉体の苦痛と現実の危険が青年の生存本能を呼び
覚ました。気を失ってはいけない、と無我夢中で石を
つかみ、何度も頭を殴った(この時の傷跡は77才の
今もひたいに残っている)。怖い、死にたくない。
「神さま、助けてくれー!」
僧でありながら異教の神に縋ろうとして叫び続けた。
やがて、彼は気付く。俺は一体、神というものを見た
ことがあるのか。ない。そしてついに天地宇宙と一つ
であるおのれに気付く。彼は立ち上がって叫んだ。
「勝った、勝ったぞー!」
(集英社新書『必生 闘う仏教』39頁~)

死が、危険が、眼前に迫っていない状態で死を想像
することの甘さを物語るエピソードだ。
気にしなければ気にならない、いのちの鼓動。
享楽の日々は苦悩を紛らわせてくれる。だが確実に
来るべき瞬間は近付いている。
さて今、われわれ日本人が直面している現実の危険、
それは言うまでもなく、放射能だ。
目に見えないから、危機感も認識されにくい。加えて
震災体験の生々しい記憶が、重い現実から目を逸ら
させる。また、それに添うように、お茶の間メディアは
思考の冷温停止状態を“作り出そう”とする。

あきらめれば、苦悩もない。
しかし、未来を生きる者たちのため、今を生きている
われわれが生存本能を呼び覚ますべきではないか。
未来の者たちが、勝ったぞ!と叫べるように。

※写真上は乗鞍から生還後タイ留学を経てインドへ
渡った頃の佐々井青年(『Bhaarath』誌表紙)。
写真下は、現代の乗鞍岳(撮影時:冬)

敵は誰そ

敵は誰そ
写真は昨年4月インド中南部ナグプールにて開催
されたアンベードカル博士生誕祭の一コマ。
博士の像の前で拳を振り上げ民衆を鼓舞している
のは、現代インド仏教の指導者:佐々井秀嶺師。
アンベードカル(B.R.Ambedkar)博士は1891年インド
最下層階級の「不可触民」として生を享け、幾多の
迫害と困難をはね除けて学位を取得、祖国独立に
際しては初代法務大臣に任ぜられ、憲法を起草。
インド社会の宿痾といえるカースト差別を全面的に
禁じた人間解放の大先達である。
そして博士の急逝後、飄然とインドの大地に現れた
日本人こそ、若き日の佐々井秀嶺師であった。
佐々井師は博士の遺志を継ぎ、インド最下層民衆
をヒンドゥー教徒から仏教徒へと改宗させることで、
平等社会の実現を目指している。
(詳しくは集英社新書『必生 闘う仏教』参照)

カースト制度の厄介な点は同一階級内部における
“同調圧力”だ。
「周りと違うことをするな」
「もうしょうがないじゃないか」
「みんながそれを受け入れているのだから抜け駆け
のような真似はするな」
つまり、あきらめろ黙って死ね、というわけだ。
このことを思うとき、拙は、日本社会に隠然と巣喰う
同調圧力について想起してしまう。特に、原発事故
後の放射能問題に関しては。
・・・果たして本当にしょうがないのだろうか?
昨年3月11日、立っているのもやっとな大揺れの中、
もたらされた津波の惨状、次いで(海外メディアを通
じて)知らされた、福島第一原発の水素爆発。
連日の余震。これら実体験に根差す不安が一年も
続けば、打ちひしがれ、心が疲れ切ってしまうのは
当然だろう。だが放射能は、未来に影響する。

インドの仏教改宗運動において、もっとも避けねば
ならないのは、民衆同士のいがみ合いだ。
改宗した者もしくは将来にその決意がある者たちと、
ヒンドゥー教徒で居続けようとする派の対立。
相互が「無知」「異常」と罵り合えば、それで得をする
のは支配者階級だけである。
しかし、佐々井秀嶺師の指導もあって、仏教に改宗
した人々は、まだそうでない同胞を慈悲の目で見つ
めている。誰が本当の敵か、知っているからだ。

このことは、日本の放射能問題に関しても言えるの
ではないだろうか。
今は「派」に分かれている場合ではないのだ。

いのち宿りて

いのち宿りて
いのち宿りて
先週、関東某所に暮らすインド仏教徒の家庭にて
『妊娠七ヶ月目の祈り』、日本でいうところの安産
祈願を勤めた。
実は依頼を受けてから彼らの家に着くまで、その
日の法要がなんなのか、よく分かっていなかった。
(連中のことだからいつもの寄り合いだろ)
ぐらいに思いながら部屋に入ると見事な飾り付け
の祭壇が…。そこはまるで印度☆
大きなお腹を絢爛たるサリーで包んだ妊婦さんは
顔馴染みの奥さん。インド式に跪いて挨拶しようと
したので、いいってば、と止める。大事なお腹だ。
さて、旦那さんの話を聞くうち、
(こりゃ困ったぞ)
なにしろ安産祈願など今までやったことがない。
というのも拙が籍をおく日本の宗派は加持祈祷の
類を否定する絶対他力の立場だからだ。
しかし、念願の一子を授かった夫婦を前に無事な
出産を祈ることは、人として当たり前。
ましてや彼らは、遠いインドから佐々井秀嶺師の
指導を受けてはるばるやって来た仏教徒である。
祖国のヒンドゥー教社会ではその血筋だけを理由
に人間扱いされなかった人々。そんな彼らを前に、
宗派の都合など果たしてどれほどの意義があると
いうのか。同じ人間として、祈ればいい。

それに彼らは、日本を愛し、大震災と原発事故後
も日本にとどまる決意をしてくれた人たちだ。
「気合い入れていくぞ」
独り言を洩らしたら、少し日本語の分かる夫婦は
「キアイ!キアイ!」
と喜んでくれた。この言葉は、インドで佐々井師が
常々そのまま口にしている日本語でもあった。
支度してるあいだに次々と仏教徒が現れ、部屋は
寿司詰め満員御礼。ま、寒いからちょうどいいか。

ロウソクを灯し、線香を焚いてパーリ語読経。
妊婦さんのお腹にいる赤ちゃんにブッダの祝福が
届くよう念じた。終了後、旦那さんいわく、
「バンテー・ジー(和尚さん)のお経、今日はやけに
ソフトでしたよねえ。いつもはロックンロールみたい
なのに」
・・・え?どおゆうキャラで理解されてたんだ?

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