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2012年3月

『たこちん』

『たこちん』
写真は、親鸞聖人鏡御影の前でポーズを決めた
“東北復興ダコ『ゆめ多幸鎮』オクトパス君”
春彼岸御中日、復興支援イヴェント会場の一角、
バザーの品々の中に彼はいた。
「頭の感じが他人のような気がしないので」
と、拙は早速トモダチになってもらった。
「むかしは蛸漁が盛んな町だったんですよ」
南三陸からお越し下さった方が言った。
「子供の頃はね、漁の時期になると、親の仕事を
手伝うため学校が休みになったくらいでした」
津波が、すべてを奪った。

さて、オクトパス君。見た目に反し、持ってみると
意外にもずっしりとくる(600g)。
彼の主な仕事は、文鎮。
鎮める、置くとパス(合格)、災いはパス・・・。
これらに込められた復興の祈り。 愛嬌あふれる
彼の顔は、柔軟であるがゆえに壊れざる金剛の
決意を表していると拙は思っている。
蛸は柔らかい。そして足を切られても再生する。
まさに復興の象徴ではないか。

親鸞の顔も心なしかほころんでいるように見える。
「いし かわら つぶてのごとくなる われらなり」
(『唯信鈔文意』)
民衆と泣き笑いを共にし、あたかも転がる石礫の
ごとく生き、我と汝ではなく「われら」と称した煩悩
具足の親鸞にとってオクトパス君もまた、われら、
であるはずだ。

「町の大半が壊滅的な被害を受けた人々は希望
を失い、不安ばかりが募る一方で、もう一度町を
復興したい、亡くなった多くの人たちのためにも生
き残った者たちで元気なふるさとを取り戻したい」
(“『ゆめ多幸鎮』ものがたり”より)
オクトパス君は、現代の「野辺の地蔵」なのだ。

『南三陸復興ダコの会』

http://ms-octopus.jp/

復興OH!

復興OH!
復興OH!
去る20日、東日本大震災復興支援イヴェント
『ヨコハマでつながろう!東北 南三陸+気仙沼』
の会場、横浜市栄区の少林寺様を訪ねた。
とはいえお彼岸の中日、檀家廻りの合間を縫って
暫し立ち寄らせて頂いたわけだが、予想を越える
盛況ぶりに、目を見張った。
実をいうと前日、ひと言激励申し上げたい一心で
準備に忙しい少林寺様へアポ無しで伺った。
その際、住職師の今日に到る胸の内を聞かせて
もらった。ここでは敢えて記さないが多く共感する
思いがあった。
逡巡、苦悩、一部の無理解者への苛立ち・・・。
“行動者”が必ず遭遇する、内外からの摩擦熱は、
拙にもいささか経験があった。

当日のバザー、『復興OH!縁☆市』。
被災地の皆様の復興に掛ける思いが込められた
品々は、どれもみな良質なものばかりで、あちこち
目移りしてしまう
気合いの「OH!」と「えにし」の縁で、応援。それに
お寺の縁日をかけて、縁☆市。
この感覚がまたイイのだ。まなじり決して唇噛んで、
では、かえって継続し難くなるものだ。

さて、ここ数年来、インドの仏教復興(=人権回復)
運動にも関わっている拙は、この度短時間ながら
拝見した東北の皆様の「こころのちから」に、正直、
驚嘆した。日本人は凄い。
別にインド人の悪口を言うつもりはないが、彼らは
“してもらう”のを待つばかりで、自助努力を進んで
やろうとせぬ者が圧倒的に多い。
(だから佐々井秀嶺師が40年以上も悪戦苦闘して
おられるわけだが)。

南三陸を紹介するパンフレットにあった言葉。
『海とともに生きるまち』
この宣言の重み。あの、津波を起こした海とともに
生きる、である。
巷間はびこる凡百の屁理屈、冷笑の類を一蹴して
余りある、「たましいのことば」ではないか。

『ヨコハマでつながろう!』

Kesennuma
来る3月20日彼岸中日、横浜市栄区の少林寺様にて

『ヨコハマでつながろう!
         東北 南三陸+気仙沼』

と題した被災地復興支援イヴェントが開催されます。
(追悼法要・上映会・復興バザー etc)
午前10時~午後17時

http://syourin-ji.com/tohoku1.html

少林寺の御住職師はみずからたびたび被災地を訪れ、
その全身で、現地の惨状を受けとめて来られた。
慈悲心。それは今で言う「上から」の“してやる心”では
なく、現実をおのれの目と耳で知り、痛みつつ、そして
立ち上がることである。胸の底で泣きながら。
拙は少林寺様の歩まれる法道を見て、かつて日本の
市井や農村で民衆と共に生きた名もなき“聖(ひじり)”
たちの姿を重ねずにはいられない。
彼ら先達は、民衆と平座で同じ水を飲み同じ物を食し、
時に笑い、時に苛立ち、時に泣いた。
ここ数年のいわゆる「仏教ブーム」に欠けていたものは
この“体温”ではなかったかと思っている。

復興の道のりは長く険しい。
だからこそ、眉間に皺を寄せ大上段に構えるのではなく、
まさに平座で、体温を維持しながら熱を伝えていくことが
肝要なのではないか。
少林寺様には『必生 闘う仏教』(佐々井秀嶺著。集英社
新書。拙編)を御高覧くださったと聞く。
佐々井師のインドにおける日々は、聖そのもの、である。
名利を離れ、粗衣粗食を常として、ヒンドゥー教の迷信に
基づく非人道的差別から「不可触民」大衆を解放すべく、
日夜身を粉にしておられる。
その光輝は到底余人の及ぶ所ではないが、佐々井師の
毎朝は、寺の近所に住むおばあちゃんとの
「おはよう!今日も元気か?」
から始まる。体温のつながり。まずはそこから、なのだ。

彼岸中日は、是非、少林寺様へおはこびくださいませ。
合掌。

「絆」と「風評」

「絆」と「風評」
3月11日が近付いて来た。
東日本大震災及び福島原発事故発生後、メディアで
流される二つの言葉、「絆」と「風評」。
コトバは、そこから醸し出される雰囲気によって逆に
細部を不鮮明にしてしまう力をも有している。
かく記すも日本語文であり、自家撞着を免れないが、
とりわけ、震災後に流布する絆と風評には、コトバの
周囲を煙幕が取り巻いているように感じられる。
いわゆる見出し的な言い方ではなく、自分の日常的
語彙に置き換えてみると、より実感が湧いて来るの
ではないだろうか。
拙の場合、キズナは「熱」、フウヒョウは「冷水」。

敢えて云うなら、絆は人として当たり前の事である。
世間に対しよほどのルサンチマンを抱えているので
なければ、自然な心の働きであるはずだ。
やむにやまれぬ思い、そこに煙幕も策謀も要らない。
人間(じんかん)に必要なのは、温度である。
また風評が「風」評である以上、所詮は、自己防衛の
ための“弱者叩き”に他ならない。いわば差別されぬ
よう差別する側へ付く、イジメられぬようイジメる側に
回る、という構造にも似て、ただ悪循環を助長させる
のみだ。
なかには、絆を忌避して、風評に与する者もいる。
そんな彼らの本音も、いうなれば風評コミュニティの
絆で結ばれたがっているだけではないのか。

拙の身辺で実際にあった出来事・・・。
インドのカースト問題に多少の関心を持っている、と
自称していた人物が、原発事故後、豹変した。
絆を唾棄し、被災地へ思いを致す事それ自体を嫌悪
するようになった。そして片っ端から風評を収集し、
「これを知らない奴は愚かだ」
そう言わんばかりに振る舞い始めたのである。
遂には、カースト差別をする側と同様なケガレ思想に
染まってしまった。それが仮に、冷水が巻き起こした
黒い渦に飲み込まれた所為としても、残念でならない。

絆は、半分の糸。人はみな、片方しか持っていない。
その先を何と結びつけるか?だ。

護身のすべ

去る二月末、岡山は国際交流センターにて『インド
錬心舘活動報告会』が開かれた。
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ヒンドゥー教の迷信に基づく身分差別により、生命
すら奪われるインド被差別民衆に護身術の空手を
指導・・・。 これは、数十年前から佐々井秀嶺師に
よって進められてきた人権保護運動だ。
今回の報告会は、昨冬、龍樹菩薩大寺に道場開き
したインド錬心舘の一年の歩みが報告された。
それに先立ち、まず拙が「インド民衆と佐々井秀嶺
師」と題して“不可触民”と呼ばれる人々の暮らしの
現実、またなにゆえ彼らに護身術が必要か?等に
ついてお話しさせていただいた。
とはいうものの、拙は生来の激しやすい性格がここ
でも鎌首をもたげ、初めてお目に掛かる御方も多く
いらっしゃる前で、インド式の袈裟をたくしあげ拳を
振りあげて、怒涛のトーク。
ちょっと引いた人もいたようですが、そおゆうキャラ
なので、ひらにご容赦(汗)。

次いで、報道写真家:山本宗補氏がご登壇下さり、
静かな語りと迫真の画像によって、東日本大震災
被災地の筆舌に尽くし難い光景、そして津波現場
を慰霊行脚する佐々井秀嶺師の姿が紹介された。
(写真の選択に際し佐々井師と拙が並んで写って
いるものを特に選んで下さった山本氏のお心遣い
に深く感謝申し上げます)
山本氏の講演は、昨年六月、被災地慰霊のため
緊急来日した佐々井師の言葉で締めくくられた。
(福島での肉声録音より。文字起こしは山本氏)
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 いかに坊さんが教典を読経して歩いても、この
 原子力発電所を廃止できなければ、教典も無
 力であり、仏法の法道も教学も一切の宗教の
 教学姿勢も無益である。
 ましてや、「もんじゅ」だとか「ふげん」だとか、
 菩薩の名前においてそうした原子力発電所が
 できていることは断じて許し難いものである。
 文殊菩薩の本当の菩薩道を見つめよ。
 普賢菩薩の本当の菩薩道を見つめよ

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思えば今、日本国民は放射能汚染によって生存の
危機に晒されている。
われわれが学ぶべき護身術、それはいうまでもなく
脱原発にほかならない。
文殊は智慧の菩薩、普賢は別名:延命菩薩という。

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