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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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2012年4月

ミサイルの国へ

ミサイルの国へ
先週木曜、インドが大陸間弾道ミサイル発射実験に
成功した。その日取りが、憲法起草者アンベードカル
博士の生誕祭を過ぎた19日、国民の祝日である5月
6日『仏誕祭』(Buddha Jayanti)の前という時期、また
水曜が仏教徒の、金曜がイスラム教徒の祈りの曜日
だったことに、何かしらの意図を窺うことも出来る。
ちなみに発射実験が行われた木曜はヒンドゥー教の
神:ブリハスパティーの日。雷霆神インドラ(帝釈天)を
補佐し、神々の教師と呼ばれる。
軍事と科学の先端を試す日にそんなことは関係ない、
と思うのが近代的知性だろうが、なにしろインドだ。

ミサイルの名「アグニ」はヒンドゥー教の火神の名で、
雷神インドラと同様、古代からの自然崇拝に根差す
抗し難き力の象徴であり、敵を焼き尽くして浄化する
“荒ぶる神”の顔を持つ。
火神の名を冠したミサイルが、雷神の宰相の曜日に
発射された、というわけである。
以前に打ち上げられた人工衛星ロケット(?)の名が
「アーカーシュ(虚空)」だったことを考えれば、かなり
アグレッシヴな方向へシフトしているのが分かる。
しかも三角大陸の東側、中国全土が射程距離に入る
オディーシャ州で実験が行なわれたのである。

近年の急速な経済成長と、IT分野での活躍等に眩惑
されて、インドの『もうひとつの顔』を見落としてはなら
ない。権力は、陰の面にこそ本性が現れる。
非暴力主義の美名を看板に、核軍縮に逆行し、庶民
の暮らし向きは貧富の差がいっそう広まるばかり。
しかも原発推進で日本政府と提携している、インド。
ある研究者は言った。
「例の“神秘”とやらで誘って、現実世界で思いっ切り
横っ面をひっぱたくのが連中のやり口だから」
そう云った彼の顔が、嬉しそうにほころんでいたのも
また天竺の神秘ではあるが。

さて拙は来週そのインドで釈尊降誕を言祝ぐ祭典に
出席すべく、南天龍宮城ナグプールへ行く。
佐々井秀嶺師のもと、いわれなき差別をはねのけて
仏教徒となった民衆と共に、Buddha Jayantiを祝う。
ナグプール郊外マンセル遺跡には、東日本大震災で
亡くなられた方々の慰霊碑もある。

民衆に必要なのは、無論ミサイルでも核でもない。
心から笑える暮らし。それだけなのだ。

人間に戻る道

人間に戻る道
人間に戻る道
去る4月14日、関東某所にて在日インド仏教徒に
よる『アンベードカル博士生誕祭』が開かれた。
昨年は東日本大震災の発生によって見送られた
ため、一年空けての開催となった。
それもあってか今回にかける彼らの意気込みは
例年に増して熱く、それぞれが出し物を用意する
など、趣向を凝らした内容となった。
日本人参加者を想定して日本文の解説を付けた
イラストによるスライドショー、男の子が日本語で
演じた一人芝居『はぁ~い♪僕アンベードカル』、
奥様トリオによる仏教聖歌の奉唱、etc。
初めてご参加いただいた日本の方からも、
「いい意味で素人の手作り感があって良かった」
とのご感想をいただいた。

そう、手作り、なのだ。
彼ら日本で暮らすインド仏教徒達は父母の代に
佐々井秀嶺師と出会い、今日に至る仏教復興の
歴史を一つ一つ手作りで築き上げてきたのだ。
インドの宿痾たるカースト制度のもと、数千年の
長きに渡り、けがれた存在として差別されてきた
彼らが、アンベードカル博士の指し示した道、
「ヒンドゥー教から仏教へ改宗して、人間に戻る」
を自らの意志で選び、佐々井師の指導を受けて
遥か遠い日本までやってきたのである。
「Dhamma Diksha(改宗)」
それはいわゆる“宗旨替え”の如き軽いものでは
ない。アンベードカルと対立したガンディーが、
「改宗なんて自殺行為だ」
と吐き捨てたことからも分かるように、差別を受け
入れて生き伸びることの否定に他ならない。

そんな彼らの思いが込められた式典に、日本の
某団体が二組、何を考えてか、参加した。
(後で仏教徒に聞いたら、そのうち一つの団体は
式典最初のパーリ語勤行を“宗旨が違う”とやら
の理由でボイコットしたらしい。いやはや)

・・・まあ、好きなようにすればいいさ。
佐々井師ならきっと豪快に笑い飛ばすことだろう。
ジャイ・ビーム!

 ※在日インド仏教徒が運営するアンベードカル
 国際教育協会(BAIAE)の公式サイト。
 http://www.baiae.org/

歴史の光と陰

光と陰
今回も日本未公開のインド映画を取り上げる。
『GANDHI my father』
ガンディーの息子ハリラルを主人公に“建国の父”
と呼ばれる偉大な人物を実父に持った男の転落
の人生を描いた問題作。
リード文の「One family's tragedy was price of a
nation's freedom 」が泣かせる。
ハリラルは父を愛するが故に、普通の人間でしか
ない自分を責め苛む。父ガンディーは逆に普通の
父親でいられなかった。周囲の期待は「あの方の
息子!」とハリラルに重過ぎる荷を負わせ、遂に
その人格を破綻に追い込む。
権力闘争に利用され宗教コミュニティに翻弄され、
一時期イスラム教に改宗してまたヒンドゥー教に
戻り、挙げ句は酒で体を壊して、最期には施設で
孤独のうちに亡くなったハリラル・ガンディー。
死亡を確認した医師が言った。
「大人物と同じ苗字だな・・・」

父、モハンダース・カラムチャンド・ガンディー。
痩せこけた体に木綿の粗衣をまとい、計算し尽く
された話術で後世の『名言集』編者に糧を提供し
続ける“マハートマ(偉大な魂)”。
インドの知識人階層なら日常の茶飲み話で使う
程度の格言風な物言いも、彼のカリスマ性により
見違えるほど光輝を増す。代名詞ともなった例の
断食による政治戦略も、喰うに困らない富裕層を
支持者に持った「決死の」断食であった。

さてこの度、比較のためハリウッド版『GANDHI』を
改めて見てみた。
リチャード・アッテンボロー監督作品で、第55回の
アカデミー賞を9部門受賞した長編大作。
しかし、あまりにも創作が過ぎ、またガンディーと
立場を異にしながらインド独立に尽力した偉人達
(アンベードカルやチャンドラ・ボース)を登場させ
ない等、インド公開の際には暴動が起きたという
曰く付きの作品だ。中でも甚だしきは“不可触民”
階級の選挙権を保護する分離選挙制導入に関し
(前回記事参照)、アンベードカルと対立した彼が
上位カーストの世論に訴えるべく行なった(つまり
身分差別を温存するための)断食が、なんとこの
アカデミー受賞作では、ヒンドゥー教徒とイスラム
教徒の対立を諫めた善行にすり替えられている。

虚像が放つ光は、悲劇の影を深くする。

祖国

祖国
映画『Dr. Babasaheb Ambedkar THE UNTOLD TRUTH』
(Ultra社DVD。日本劇場未公開)を改めて観た。
現行インド国憲法の起草者にして、仏教復興運動の指導者、
B.R.アンベードカル博士の生涯を描いた作品だ。日本を始め
諸外国では、インドのカースト制度を廃止したのはガンディー
であるかのように言われているが、事実はそうではなく、この
“不可触民階級”出身の偉人によって成し遂げられたのだ。
しかもアンベードカル博士は、ムガール朝以来歴史の表舞台
から姿を消していた“釈尊の国インド”の仏教を、近代思想の
視点からとらえなおし、現実社会に向き合う行動原理として再
構築した末法灯明の大導師なのである。
にも関わらず、仏教国である筈の日本においては、その偉業
はもとより名前すらほとんど知られていない。
理由は、彼の仏教がいわゆる日本各宗の伝統教学と異なる
点が多いこと、そしてまたインドのイメージ・キャラクターたる
マハートマ(偉大な魂)・ガンディーとカースト問題で対立した
人物であったこと等が、少なからず関わっているようだ。


インドの二大巨星は、両雄並び立たず、の言葉通りだった。
不可触民階級の分離選挙制度(カースト差別によって自由な
投票権行使もままならなかったため)を巡って、両者の対立は
決定的となった。
「選挙を分けることは祖国を分断するようなものです。差別は
心の問題であり、カースト制度そのものは、国をまとめるのに
必要なんですよ」
あたかも賢哲のごとき口調で、諭すようにガンディーは言った。
それに応え、アンベードカルは、
「ガンディーさん。私には祖国がありません」
「なにをおっしゃる。貴方はもう立派な“博士”ではないですか」
「いいえ。生まれた血筋だけを理由に人間以下の汚れた存在
とされ、公共の場所にある井戸の水すら自由に飲ませてもらえ
ないような国を、どうして祖国と呼べましょうか?」

その後アンベードカルは、自由と平等、人間解放のため、仏教
復興を宣言する。

・・・「祖国がない」。「けがれ」。
この言葉は、原発事故による放射能汚染に日々曝されている
現代日本人にもそのまま当てはまる事柄ではないだろうか。
政府は、国民の生命を脅かしながらあくまでも再稼働ありきの
姿勢を変えず 、喉元過ぎればなんとやらの時期を窺うばかり。
或いは一部の国民に見られるような、放射能汚染については
饒舌に語るが、被災地復興支援の話になると打って変わって
寡黙となる現象。
かかる日本の有様は、人間解放の先達アンベードカル博士の
目にどのように映るのだろうか?

本作の中にこんな場面がある。
「不可触民」の参拝を断固拒否するヒンドゥー教徒達が、神を
汚れから守るため、と称し、アンベードカル一行が寺に近付く
前に御神体を外へ運び出してしまった。
その結果、暴動を引き起こし、多くの負傷者が出た。
あまりにも哀しく、また多くの示唆を含んだシーンに思えた。

4月14日はアンベードカル博士の生誕日である。

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