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2012年5月

インドから東北へ(4)

インドから東北へ(4)
インドから東北へ(4)
仏誕祭の結願から一日おいた、8日朝の地元有力紙は、
『東日本大震災犠牲者追弔法要』の模様を報じた。
事前にメディア向け告知等あえてしなかったせいもあり、
また、外国で起きた災害ということもあってか、記事の扱
いは決して大きくなかったが、仏教徒の多い土地柄ゆえ
佐々井秀嶺師の動向は常に注目される。
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老眼鏡越しに紙面を眺めながら佐々井師が言った。
「州のお偉方が来ると、必ず慰霊碑に連れて行って参拝
させるんだよ。ヒンドゥー教だろうとイスラム教だろうとね。
インドでは、信仰心の深さが人望の厚さにつながるから、
彼らも真剣に拝んでるよ。民衆はそういうとこをちゃんと
見てるからねえ」
インド中央政府で少数者委員会(minority commission)の
仏教徒代表を勤めた佐々井師ならではの影響力だろう。
しかし当のご本人は、
「政治向きのことは正直よくわからん」
と、あくまで無位無冠の僧としての信条を貫いている。

「大震災で亡くなられた方々は、浄土へ往生されたんだと
私は信じてる。日本の仏教説話では、浄土は龍宮にあり、
ともいわれている。ナグプール(南天龍宮)でお祀りさせて
いただくことが、私のつとめだと思っている」
この、佐々井師を動かす根源的動機は、古き良き日本の
精神文化、いわゆる“人情”に他ならない。
「若い頃は浪曲師もやってたから、浪花節なんだよ私は」

2012年5月6日、ブッダ・ジャヤンティーの夜。
二ヶ月遅れの一周忌ではあったが、仏教の故国インドで
日本の大震災犠牲者に祈りが捧げられた。
法要終了後、まだ得度したてのインド少年僧が、青々と
剃りあげた頭を下げて、拙に言った。
「Dhannyawaad(ありがとうございました)」
お礼を言わなければならないのは、こちらのほうだった。

トウホク・キー・ジャイ! (東北に勝利あれ)

【写真上】東日本大震災追弔法要とインド仏教徒。
【下】仏誕祭の朝、糞掃衣を供養された佐々井師。
【文中】追弔法要を報じた地元新聞。

インドから東北へ(3)

インドから東北へ(3)
インドから東北へ(3)
インドから東北へ(3)
インド仏誕祭の夜、東日本大震災犠牲者追弔法要。
読経に先立ち、参集した人々に佐々井秀嶺師から
ご自身が昨年6月東北三県の被災地で目の当たり
にした惨状について、ご説明があった。
数多の尊い命と日々の暮らしが一瞬にして奪われ、
生き延びた人たちは今も不自由な生活を強いられ
ている。しかも、その後の報道によれば、一部には
差別問題すら起きている日本の現実・・・。
佐々井師は時に声を荒げ、時には詰まらせながら、
全霊を込めて語った。
話が“差別”に及んだ際、インド民衆の間に義憤の
どよめきが上がった。
数千年の長きに渡って、謂われない差別に曝され
てきた彼らは、その「痛みを知る者」である。
他者と痛みを共有する心。これこそブッダが説いた
『慈悲』なのだ。

「私はインド国籍だからな。あんたがまず日本式の
お勤めをやるんだ。そのあと私らインドの坊さんが
パーリ語のお経をあげるから」
突然の師命。
緊張と、宵の口といえど35℃を越す猛暑も手伝い、
水をかぶったように汗が流れ出す。しかし、辞退を
する理由もない。日本人として、全力でやるだけだ。
以前、佐々井師が仰ったことを思い出す。
「なに宗だろうと、どんな唱え言だろうと、心の中に
響いてる音は同じ仏の声だと思う。違って響いてる
ようじゃ、なんだか情けないよなあ」

インド僧の読経が始まると、集まった民衆が期せず
して一斉に唱和した。
大人たちのお経に混じり、子供の甲高い声も聞こえ
てくる。先程の佐々井師の説明に、
「ジャーパーン、バホット・ドゥール・ヘ」
(日本はとても遠い)
とあったのを、子供なりに考えて、声を張ってくれた
のだろう。仏の子には、国境も、宗派も、関係ない。

インド。マハーラーシュトラ州ナグプール市の郊外、
大乗仏教発祥之地マンセル遺跡。
お釈迦様がお生まれになった記念祭の同日夜。
東日本大震災で亡くなられた方を弔う天竺びとの
祈りが、夜空に舞った。

【写真上】仏教徒民衆に東北被災地の説明をする
佐々井秀嶺師。
【中】追弔法要、読経の様子。
【下】慰霊碑前の蝋燭が宵闇に光輝を放つ。

インドから東北へ(2)

インドから東北へ(2)
インドから東北へ(2)
インドから東北へ(2)
5月6日。インド『Buddha Jayanti(仏誕祭)』のその日、
佐々井秀嶺師は早朝から精力的に各所を巡り、釈尊
御降誕を記念する行事を勤めた。
十三世紀の始めにインド史の表舞台から姿を消した
仏教は、1956年、アンベードカル博士によって復活を
遂げた。その後日本から来た佐々井秀嶺師の“必生”
の努力より、今や仏教は、インド社会を底辺から変革
しようとしている。

さて、この時期インドは酷暑のさなかにある。
特にナグプールは、全インド中でもっとも暑く、日中の
最高気温が45℃を越える。
そのような土地に根を張って半世紀近く、佐々井師は
常に最下層民衆と泣き笑いを共にして生きてきた。
とはいえ、今や77歳の老躯は、病や怪我で満身創痍。
にも関わらず師を駆り立てるものは一体何なのか?
「義を見てせざるは勇なき也、ってとこかな」
そう言って呵々大笑し、飄然と南天竺の大地を歩む。

日没過ぎ。佐々井師、東日本大震災慰霊碑に到着。
待ち受けた人々の間を縫って一瞬の休憩も取らずに
慰霊碑前へ進む。
「すまんな、もっと早く着きたかったんだが」
なにごとも緩慢なインド、ましてや仏誕祭の多忙な中、
いかに佐々井師がご苦労なされたか分かる。
「準備はいいか?すぐに始めるぞ」

若きインド僧が慰霊碑に灯明を捧げ、はるか天竺より
日本の東北被災地に向けて、大震災犠牲者追弔法要
が開始された。

【写真上】仏誕祭で導師を勤める佐々井秀嶺師。
【中】慰霊碑前に到着した佐々井師。向かって左斜め
後方には民衆と共に出迎えた拙の姿も。
【下】蝋燭と線香に火を点ける青年僧Pragya-Nand。

インドから東北へ(1)

インドから東北へ(1)
インドから東北へ(1)
インドから東北へ(1)
去る5月6日、仏教の故国インドで釈尊御降誕を祝う
『Buddha Jayanti』(日本でいう灌仏会、花祭)の聖日、
三角大陸の中心ナグプール郊外、大乗仏教発祥之
地マンセル遺跡に建つ「東日本大震災慰霊碑」前に
於いて、佐々井秀嶺師並びにインド僧諸尊宿による
震災犠牲者追弔法要が厳修されました。
その模様を、全四回に渡ってご報告致します。

「どうだ?日本は」
5月1日、南天龍宮(ナグプール)インドーラ寺の上階、
佐々井師の居室にて、拙がまだ到着の挨拶を終えぬ
間に師が問うた。その眼光は、青白く光って見えた。
放射能汚染、停止という名の原発再稼動計画、未だ
行方不明の方々、復興支援問題、ケガレ思想の復活
など、拙が知る限りのことをお話しした。
佐々井師はチャーイの入った真鍮のコップを手にした
まま微動だにせず聞き入っておられた。そして、
「よしっ、慰霊法要をやろう!」
本当ですか?ありがとうございます。では、いつ?
「6日の仏誕祭に」
でもその日は朝からお忙しいのでは・・・。
「いいんだ!お釈迦様の記念日こそ、震災で亡くなら
れた方を供養するのに相応しい日はない。みんなに
声を掛けるぞ!」
即断即決。こうと思ったらすぐ行動に移すのが佐々井
師の流儀。理屈など、何もしない者の玩具に過ぎぬ。

“奇跡”が動き始めた。

【写真上と中】インドに建つ大震災慰霊碑。背景に見
える丘陵が大乗仏教発祥之聖地:南天鉄塔遺跡。
【下】
仏誕祭の夕刻、佐々井師到着を待ちながら日本
の犠牲者のため寺で祈りを捧げる地元仏教徒たち。

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