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2012年6月

止まった時計

止まった時計
写真は、現在宿泊施設として利用されている東北
山間の小学校。玄関の大時計は昨年震災発生の
時刻、14時46分で止まったままだ。

拙の住まう首都圏で復興支援の話をすると、
「え?もう大丈夫なんじゃないの?」
といった反応に多く出くわす。
大手メディアが(恐らく政治的理由か)あたかも既に
復興は成ったかのような印象誘導をしているせい
であろう。例えば、某局朝の番組では、犬を連れた
歌手が“笑顔を届ける”と称し東北地方へも旅して
いるが、被災地の現状はまったく映されない。
そもそもこの番組コーナーは、昨年の段階で東北
を訪れてはいたが、津波を受けた沿岸部を避けて
いたように記憶する。
制作者や出演者側にそれなりの深い配慮があった
にせよ、ファンの方々には申し訳ないが、被災地に
いない“お茶の間”の視聴者らがどのような錯覚を
するか、容易に想像できよう。

地元局制作の朝の報道バラエティ番組では、今も
復興が進まぬ被災地の状況を伝えている。
仮設住宅のなか、被災後に購入した小さな仏壇に
手を合わせる老人。仏壇の上には、納めきれない
数の家族の写真。みんな津波で亡くなったのだ。
あるいは、郷土復興のため知力と体力を振り絞る
若者の姿や、半農半漁の生活が津波と風評被害
によって大打撃を受けながらも家族を守るために
“笑顔”を絶やさぬ逞しき東北の父・・・。
これが「今」なのである。首都圏の大手メディアが
垂れ流す浮ついた情報(?)とは、とても同じ日本と
思えぬ現実がそこにあるのだ。

仮設住宅を訪ねて、被災したお母さん方にお会い
することができた。
帰り際、佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社
新書。拙編)を献呈させて頂いた。
いささか僭越か、との思いもあり、また仄聞するに
新興宗教団体が教線拡張のため布教本を配って
いるとの噂も耳にしていたので、正直、ためらいも
あった。だが、お母さん方はこちらの想像を絶する
悲しみと苦しみを抱えながらも、快く受け取ってくだ
さった。

住宅前の空き地で、子供達がボール遊びに興じて
いた。はしゃぐ声が東北の空に弾ける。
感傷が過ぎる、と言われるだろうが、そのとき拙は
以下のように感じた。

仮設住宅のお母さん方に、観音菩薩を見た。
子供達に、地蔵菩薩を見た。

被災地の今

被災地の今
被災地の今
南三陸と気仙沼の津波被災地を訪ねた。
約一年ぶりであった。言い訳になるがその間、拙は
介護問題を抱え、物心両面に於いて思うように行動
することが難しかった。
しかし、昨年末に老親を浄土へ見送った後、仏天の
御化導か、震災発生の翌四月時点から現地に入り
菩薩道を実践して来られた少林寺住職師との法縁
を授かり、このたび再訪する機会を賜った。

東北被災地は、まだそこかしこに瓦礫が山と積まれ、
なかにはいまだ解体途中の半壊建造物もあった。
こみ上げてくる、怒り。
その感情は昨年の今頃、慰霊行脚のため緊急来日
した佐々井秀嶺師のお供をして津波現場で御供養
させて頂いた時と変わらない。否、むしろ一年という
月日が流れた分、増幅されたともいえる。
では、一体何に対して?

中央政府のいい加減さ、大手メディアの情報誘導や
印象操作・・・。
だが、上を叩くだけなら気楽なものである。横を水平
に見回すことをせず、舌先三寸で身をかわす。
復興を遅らせている元凶は、自分自身を含む、被災
地にいない者達のエゴではないのか。と思った。

津波で堂宇一式を流されたお寺に参拝した。
プレハブの仮本堂。
御本尊に額ずき、インド仏教徒から託された追弔の
祈りを届けるため、パーリ語の勤行。
読誦した経は『Sangha Vandana (僧徳讃)』。
この場合のサンガ=僧は、いわゆる僧侶の意味で
はなく、本義的に共和、連帯、融合をあらわす。
復興支援のため日本がひとつのサンガになるべき、
との思いでお勤めさせて頂いた。

釈迦如来像の微笑みに、一条の光を見た気がした。

【写真上】現在の気仙沼。去年三月初めまで日本
有数の水産加工業で栄えていた町の、今。
【写真下】南三陸町志津川。一見穏やかな景色に
見えるが全てを津波に流されたままだ。

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