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佐々井師東北へ(4)

佐々井師東北へ(4)
佐々井師東北へ(4)
佐々井師東北へ(4)
宮城県亘理郡山元町、東保育所。
昨年3月11日、ここであまたの幼い命が津波の犠牲
となった。今回、佐々井秀嶺師は急きょ地元の方々
の請いを受けて、供養に訪れた。
保育所を押し包む、哀し過ぎる静寂。それが悲劇の
重さ、傷の深さを、言葉少なに、しかし何より凄絶に
訴えていた。
震災、津波、原発事故。その後、日本国民の一部に
起きた東北差別…。失われた幼い命にとってそれは
あまりにも残忍で、無慈悲な仕打ちであった。
真に子供の未来を考える者ならば、未来を奪われた
子供の悲しみにも寄り添えるはずではないのか。
保育所へ入ってすぐ、園庭に面した場所に、地元の
方々によって祭壇が設けられていた。

佐々井師はまず般若心経を読誦。
続いて、パーリ語『三帰五戒』と『三寶讃』。
このとき拙は唱和しながら、内心(なぜ日本の子供の
ためにインドの勤行をするのか?)と疑問に思った。
読経を終えると、佐々井師は目に見えない子供達に
語り始めた。
「私には見えます。お母さんやお婆ちゃんがお迎えに
来ても、ボール遊びに夢中だったりジャングルジムで
遊んでたりする、みんなの姿がね。みんなが笑ってる
姿が見えていますよ」
そして、深々と頭を下げ、お礼の言葉を繰り返した。
「お経を聞いてくれて、ありがとうございました」

供養のあと地元の方が言った。
「去年、ここに祭壇を置いてから、今日でちょうど一年
なんです」
やはり導かれていたのだ。
子供たち、ずっとバンテー・ジー(上人様)を待っていて
くれたんですね。そう拙が言うと、
「…ん」
佐々井師はただ頷くだけだった。何かをこらえている
ようにも見えた。

その時、先ほどの疑問が解けたように感じた。
幼い命の悲しみに寄り添う佐々井師は、子供たちの
手を引いて、お釈迦さまの国へ連れて行ってあげた
かったのではないか。
まさかインド仏教徒一億五千万人の指導者がそんな
感傷的な、と笑う向きもあるだろう。
だが、佐々井師(Bhadant Arya Nagarjun)は名もなき
民衆のひとりひとりと正面から向き合い、泣き笑いを
共にして生きて来たのである。

小さき仏のまします園に、小さな花が咲いていた。

【写真提供:小林三旅氏】

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