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佐々井師東北へ(6)

佐々井師東北へ(6)
佐々井師東北へ(6)
佐々井師東北へ(6)
<希望の牧場 ~ふくしま~>
『被ばく牛を生かす意味とは、被災・被ばく農家が
生きる意味なのではないか』

http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/
梅雨の切れ間の晴天のもと、緑萌える田園風景の
中に、佐々井秀嶺師は立った。
福島第一原発事故後、政府はこの一帯の牛達に
殺処分を下した。動くガレキ、という扱いで…。

この日、佐々井師はまず牛のために読経した。
それを終えると、まるでもう一人の自分に聞かせる
ように語り始めた。

「山育ちの私は、いつも牛と一緒だった。子供の頃、
近所の子がふざけて仔牛を苛めた時、それを見る
のも嫌で、喧嘩になったことがある。
インドに行ってから、いろいろと勉強させてもらって、
牛が古代社会では豊穣の象徴とされていたことや、
ヒンドゥー教ではシヴァ神のお使いとされていること
などを知った。今でもインド人は道端に牛がいれば、
敬って、そっと避けて通る。
私が50年近く差別解放のお手伝いをさせていただ
いてる仏教徒は、ヒンドゥー教では“不可触民”と呼
ばれた人々だが、その由来は、亡くなった牛を処理
するという禁忌に触れる仕事だったからとも云われ
ている。それだけ人間と牛の関係は深いということ
なのだろう。
去年の震災でたくさんの人が亡くなり、原発事故で
放射能汚染まで広まったと聞く。
命は皆等しく平等である。その理由は、どんな命も
必ず他の命のおかげで生きていられるからだ。
遥か昔から牛に助けられ、そのおとなしさと力強さ、
乳や肉のおかげで生きて来られた人間が、なんの
懺悔も感謝もなく、ただ殺せとは、なんたる非道。
いわんや原発事故という人間が撒いた不幸の種で
他の命を踏みにじるとは、天に唾する所業である。
忘恩は動物にも劣る、と知らんのか!」

今回もまた多くの教えを身を以て示してくださった
佐々井秀嶺師は、虐げられた民衆の待つインドへ
帰って行った。
「東北と南天、一如法界とならん」

【追記】
拙は先日『希望の牧場』代表:吉沢氏のお話を伺う
機会があった。氏の言葉、
「折れた心と心をつないで立ち上がるんです」
そこに、菩薩道を見た。

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