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2012年8月

現場必生

現場必生
現場必生
現場必生
インドにおける佐々井秀嶺師の24時間は、多忙の
一語に尽きる。仏教民衆は、夜討ち朝駆けの如く
佐々井師のもとをおとずれる。
ある者は嫁姑問題の相談、ある者は最近夢見が
悪いなどといった愚痴、またある者は息子や娘に
良縁を世話してほしい…など。佐々井師の日常は
いわば“村の和尚さん”である。だが時には、
「明日の朝、うちらの村をブルドーザーでぶっ潰す
と上のカーストの奴らが脅してます。どうか助けて
ください!」
といった非常事態も起こる。そんな時、佐々井師の
慈顔は一瞬にして不動明王と化す。仏教会青年部
の行動隊(Dhamma Sena)に緊急召集をかけ、
「いいか、日没までに村全体をバリケードで囲え!
別のグループはスピーカーを積んだトラックで街中
にこの一件を訴えて廻るんだ!決して挑発に乗る
んじゃないぞ、相手の思う壺だ。私も今夜中に村へ
入る。さあ、行け!」

しかし、佐々井師のもとに立ち寄る日本人旅行者は
まずこういった一面に接することがない。
それは佐々井師生来の旺盛なサービス精神による
もので、食事や宿泊の心配から案内役の手配など、
細かに気をくばる。一見、豪快なようで、実は繊細な
人柄なのである。

みずから現場に立つことが佐々井師の流儀。
インドにおいても東北被災地においてもそれは同じ。
机上の空論や知恵の輪遊びで理屈を弄ぶのは性に
合わない。云うまでもないが、その行動を下支えして
いるのは深い配慮と洞察、そして常に御身を俎上に
載せた「わがこと」としての苦悩である。
だからこそ、現場の民衆に心から慕われるのだ。

8月30日は佐々井秀嶺師77歳の誕生日。
(インドの習慣は数え年なので78歳)。
現場に生きる佐々井師を現場の民衆がお祝いする。

【写真上中下】
今年のBUDDHA JAYANTI(灌仏会)にて。周りの人々
の屈託ない笑顔が何よりも雄弁に語っている。

『BANDIT QUEEN 』

『BANDIT QUEEN<br />
 』
インド映画『BANDIT QUEEN』(1994年)。
監督シェーカル・カプール、主演シーマ・ビシュワス。
実在した女盗賊プーラン・デヴィの数奇なる半生を
実話に基づいて描いた問題作。
製作発表段階から各方面で物議を醸し、完成後は
あまりにも生々しいレイプ場面やカースト差別描写
を理由に、インド国内での公開が見送られた。
しかし海外で大きな話題を呼び、またプーラン個人
への高い関心をも惹き起こした。

【あらすじ】
被抑圧階級のマッラ(ガンガー流域で船頭や荷物
運び等に従事するカースト)の娘として生を受けた
プーランは、インドの弊習で幼児婚をさせられる。
20才以上年の離れた夫は、初潮前の彼女を犯す。
虐待を逃れ、荒野に飛び込んだ彼女は、野生児の
ごとくひとりで成長する。たまたま山賊団に拾われ、
そこで同じマッラ階級の青年ヴィクラムと出会う。
プーランとヴィクラムは裕福な上位階級を襲撃して
盗品を下層民衆に与える“義賊”となる。
愛し合うふたりが初めて結ばれるとき、彼女は彼を
何度も殴打した。幼い頃から性的暴行を受け続け
てきたプーランは、行為の前にはそうするものだと
思い込まされてきたのだった。
裏切りによってヴィクラムは暗殺され、上位階級の
村に連行されて男達から辱めを受けたプーランは、
復讐の鬼女となる。殺戮を繰り返す一方で、義賊
として働く彼女を、被差別民衆はいつしか「荒ぶる
女神」として崇めるようになる。
だが警察が次々と手下を射殺し、長い逃亡生活の
末、遂に力尽きたプーランは投降する。
投降式。見せしめのために設けられた舞台の上で
警察長官に平伏する彼女を、民衆の歓呼が包む。
「プーラン・デヴィ万歳!」

映画はこのシーンで終わる。
実際の彼女は、収監後、人権団体による減刑嘆願
運動が起こり出所。その後、政界入りを目指す。
また同じ頃ヒンドゥー教から仏教へ改宗。
2001年7月デリーの自宅前で復讐の銃弾に倒れる。
享年38歳。

今回、なぜこの旧作をあえて取り上げたか。
近年インドの急速な経済成長を受け、政治絡みで
煽られる“インド・ブーム”に、些かの違和感を禁じ
得ないからだ。本作に描かれる世界は過去のもの
ではない。今もってインドの素顔なのである。
神秘と瞑想、悠久の大地…。プーランを生き地獄へ
突き落としたものが、そこにある。

共感力

共感力
共感力
日本の或る医学博士がインドで佐々井秀嶺師を間近に
観察して、所見を述べられたことがある。
「これは私のまったくの感想に過ぎませんが佐々井さん
を見ていて思ったのは間脳の働きが並外れて活発なの
ではないかと」
それゆえ他者の喜怒哀楽と敏感に呼応し、それを我が
事として共感することで、尋常ならざる気力体力を発揮
するのではないか、という説のようだ。
人格形成期を戦時中に送った佐々井師は、人の悲しみ
ばかり見て育った。上記の“特殊間脳”が先天性のもの
ならば、幼い心はひと一倍傷付き、苦しんでいたのでは
ないだろうか。敗戦の当日夜、
「戦争に負けていきびだ」
と、町内に落書きして回ったのも、そういった背景による
ものだろう。

1998年、インドが地下核実験を強行した際、佐々井師は
ニュー・デリーの国会議事堂前で、大喝一声した。
「Paagal!Nikal aaja!(馬鹿者、出て来い)」
時の首相を衆人環視の中でバカ呼ばわりしたのである。
「私の生まれは日本である。そして原爆体験をした唯一
の民族、日本人の怒りの血が燃えたぎっている」
被爆国民としての痛みが佐々井師を突き動かしたのだ。
「私はブッダと共にあんたらを嘲笑ってやる。この馬鹿者
の恥知らずどもめが!」
インドの核開発計画が当初『Smiling Buddha』と名付けら
れていた事実を引いて、権力を罵倒した。
仏陀の微笑み…。わが国でいえば、もんじゅ、ふげん。
どうやら、核の平和利用を掲げて利権に群がる者どもの
思考は国を問わず共通しているようだ。

今年も東北の被災地を訪れた佐々井師。
南三陸では、朝、
「ちょっとひとりにしてくれ」
そう言って、湾を一望できる場所に座り、黙って海を見て
いた。その共感力で何かを受け止めていたのだろう。
少年の日、或いはデリーの国会議事堂前で火を噴いた
怒りや哀しみも、このように深く共感した結果だったので
はないか。理屈でなく、庶民の情、浪花節の心で。

情理を尽くす、という言葉がある。
だが近代的知性は、理を重んじ情を軽んじることを進歩
的と見る傾向が強い。なるほど一理あるが、一情を欠く。

理を装った「利」に、情を潰させてはならない。

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