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共感力

共感力
共感力
日本の或る医学博士がインドで佐々井秀嶺師を間近に
観察して、所見を述べられたことがある。
「これは私のまったくの感想に過ぎませんが佐々井さん
を見ていて思ったのは間脳の働きが並外れて活発なの
ではないかと」
それゆえ他者の喜怒哀楽と敏感に呼応し、それを我が
事として共感することで、尋常ならざる気力体力を発揮
するのではないか、という説のようだ。
人格形成期を戦時中に送った佐々井師は、人の悲しみ
ばかり見て育った。上記の“特殊間脳”が先天性のもの
ならば、幼い心はひと一倍傷付き、苦しんでいたのでは
ないだろうか。敗戦の当日夜、
「戦争に負けていきびだ」
と、町内に落書きして回ったのも、そういった背景による
ものだろう。

1998年、インドが地下核実験を強行した際、佐々井師は
ニュー・デリーの国会議事堂前で、大喝一声した。
「Paagal!Nikal aaja!(馬鹿者、出て来い)」
時の首相を衆人環視の中でバカ呼ばわりしたのである。
「私の生まれは日本である。そして原爆体験をした唯一
の民族、日本人の怒りの血が燃えたぎっている」
被爆国民としての痛みが佐々井師を突き動かしたのだ。
「私はブッダと共にあんたらを嘲笑ってやる。この馬鹿者
の恥知らずどもめが!」
インドの核開発計画が当初『Smiling Buddha』と名付けら
れていた事実を引いて、権力を罵倒した。
仏陀の微笑み…。わが国でいえば、もんじゅ、ふげん。
どうやら、核の平和利用を掲げて利権に群がる者どもの
思考は国を問わず共通しているようだ。

今年も東北の被災地を訪れた佐々井師。
南三陸では、朝、
「ちょっとひとりにしてくれ」
そう言って、湾を一望できる場所に座り、黙って海を見て
いた。その共感力で何かを受け止めていたのだろう。
少年の日、或いはデリーの国会議事堂前で火を噴いた
怒りや哀しみも、このように深く共感した結果だったので
はないか。理屈でなく、庶民の情、浪花節の心で。

情理を尽くす、という言葉がある。
だが近代的知性は、理を重んじ情を軽んじることを進歩
的と見る傾向が強い。なるほど一理あるが、一情を欠く。

理を装った「利」に、情を潰させてはならない。

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