2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
フォト

『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

白い絆

白い絆
白い絆
白い絆
先週末、関東某所に住む在日インド仏教徒の自宅
にて『ダガー・プージャ』を勤めた。
白い木綿糸を右手首に三周、ミサンガ状に巻き付け、
ブッダの慈悲と結縁する儀式。白い木綿糸は誠実を、
三周は“Buddha・Dhamma・Sangha”の三宝を表して
いる。またこの三宝は、インド仏教復興運動の先達
アンベードカル博士の教えに則り、Buddhaは真実、
Dhammaは真実に至る道、Sanghaはその道をともに
歩む仲間たちを指している。
日本では、仏法僧の三宝、と説明されることが多い
ため僧=坊主と思われているフシもあるが、原語の
Sanghaは「republic」とも英訳される共和を意味する
言葉なのだ。
そして、このサンガの精神は、カースト制度によって
数千年の長きに渡り虐げられてきたインドの被抑圧
階級にとって、人間として生きる道なのである。

さて、夕方4時集合のプージャが始まったのは、6時。
日本においても「印度時間」は変わらない。
まず初めにワンダナー(勤行)、続いて参加者へ吉祥
廻向。そのあと仏像に掛けておいた木綿糸をたぐり、
ひとりひとりの右手首にパーリ語の経文を三編唱え
ながら巻いて、結びつける。
そうしている間に、遅刻した参加者が次々と現れて、
最終的にはアパートの一室に30人近くのインド人が
スシ詰めとなった。しかもSkypeを通じて九州に住む
仏教徒までもがオンライン参拝。…いやはや。

しかし、彼らの気持ちはよく分かる。
祖国インドで佐々井秀嶺師から指導を受け、仕事を
求めつつ仏教国と思って訪れた日本は、宗派国。
ヒンドゥー教のカースト制度から逃れ、自らの意志で
仏教に改宗した彼らにとって、その壁は冷たく険しい
ものであったろう。

「さあ、今日はい~っぱい食べてってくださいねっ!」
奥様方が腕によりをかけて作ってくれた供養食。
いわゆる“お精進”だからピュア・ヴェジタリアン料理
なのだが、味は絶品☆天竺の御斎(おとき)。
拙はうれしくなって、新しく覚えたボリウッド・ソングを
披露しようとしたら、きっちり止められた。
「せっかくの儀式のありがたみが無くなります!」
…いやはや。(汗)

【写真上・中】ダガー・プージャの祭壇。
ブッダとアンベードカル博士の肖像と共に、壮年期の
佐々井秀嶺師の写真も祀られている。
【下】白い木綿糸を巻いて結びつけているところ。

亘理の仏②

亘理の仏②
亘理の仏②
亘理の仏②
地元復興団体『居酒屋源さんボランティア本部』
http://izakaya-gensan.seesaa.net/
リーダーの源さんに案内していただき山元町近隣の
被災地を巡る。
車中つとめて何か語ろうとしても拙の喉元に浮かぶ
言葉は空虚な雑音にしか思えず、何度も飲み込む。
大手中央メディアが、まるで“無かったこと”のように
被災地の情況を報じなくなったこの一年八ヶ月後の
現在、東北を襲った津波の爪痕は、あくまでも深く、
生々しく刻まれている。それが“今”の真実なのだ。


【写真上】宮城から県境を越えた福島県の海。
堤防が破壊され、暮らしは一瞬にして失われた。
住宅地跡で手を合わせる源さん。拙はコンクリートの
土台に五体投地した。
【中】常磐線坂元駅跡に祀られた小さな五輪塔。
「震災直後は、線路が縄のようにホームの上に巻き
付いていました」
源さんの説明に息を呑む。その光景を想像するだけ
でも、たとえば被災地を離れた都市部で交わされる
凡百の屁理屈や妄想が、いかに“人として”みっとも
ないことか、判るはずだ。
【下】老人介護施設:梅香園跡。
ここへは源さんから同行の申し入れがあった。
拙自身昨年末まで介護問題当事者だったこともあり、
もちろん是非に、と案内をお願いした。
津波であまたの入所者と施設スタッフが亡くなられた
その場所に佇むと、不覚にも、我が老親の顔を思い
出してしまった。


その夜、ホルモン焼きをつつきながら焼酎をあおって、
源さんと語らう。…仏教にも造詣の深い源さん、
「僕は『般若心経』のあのところが好きなんですよね」
“心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想”
心に罣礙無く、罣礙無きがゆえに、恐怖あること無し。
一切の顛倒と夢想を遠離す。
まさに、被災地に生き、復興に邁進する人々の心。


拙は焼酎の勢いもあり、こう言った。
「あれってさ、“ビビってんじゃねえよ!”っていうこと
だよね。胸のカーテンを破っちまえ、つうかさぁ」
驚き、そして呆れ半分に笑いながら源さん、
「そんな説明、初めて聞きましたよ」


空即是色。生きるちから。必生。

亘理の仏①

亘理の仏①
亘理の仏①
亘理の仏①
「東保育所が解体される…」
知らせを聞いて居ても立ってもいられなくなった。
宮城県亘理郡山元町立東保育所。
昨年3月11日、津波で多くの幼い命が失われたこの
地は、今日まで地元の人々によって供養が勤められ、
去る6月にはインド仏教指導者佐々井秀嶺師も慰霊
に訪れた“小さきほとけの薗”である。
その節に御縁を授かった山元町の復興団体、
『居酒屋源さんボランティア本部』

http://izakaya-gensan.seesaa.net/
に早速連絡を取り、ご多忙の中、お時間を都合して
いただけることとなった。
解体される前にもう一度子供達にお参りしたい。
拙の単なる一方的な自己満足に過ぎないかも知れ
ない申出を、本部の方々は快く受け入れて下さった。

リーダーの通称「源さん」と、事務担当の方と三人で
東保育所を訪れる。
源さんは毎朝ここで線香を手向け、子供達の冥福を
祈っている。祭壇には“義足の禅僧”道順師が献納
した地蔵尊が祀られている。源さんが言った。
「なんか空気が明るくなってる気がしますね」
確かに佐々井師のお供で6月に訪れた時より《気》が
光明と温みを含んでいるように感じられる。あの日も
雲が低く垂れ込めていたが、何かが変わっている。
地蔵菩薩の大慈悲、そして“生きた地蔵”佐々井師の
お力によるものであろう。

読経一巻。
目に見えない子供達を思いながら声を張っていると、
なぜか一緒にお遊戯してるような心持ちになり、自然
にテンポが上がっていった。坊主としては失格だろう。
だが、子供達が笑ってくれたら、冥利に尽きる。
法要を終えて振り向くと、事務担当の方が、
「気持ち良くなっちゃいました」
そう言って下さった。

東保育所へ行く前、源さんに近隣の被災地を案内し
ていただいた。その道すがら、曇天の雲が龍の如く
蛇行している一角に、かすかな虹が見えた。
あれはきっと“小さきほとけの橋”だったのだろう。

【写真上・中】解体が決まった山元町立東保育所。
【下】インドの佐々井秀嶺師。

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »