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2013年5月

地獄マンダラ?

地獄マンダラ?
シャールク・カーン(Shahrukh Khan)。
近年立て続けに主演作『ラ・ワン』や『恋する輪廻』、
『命ある限り』等が日本公開されているボリウッドを
代表するスーパースター。
その彼が、かつて日本で全国上映された作品中で
最低最悪のストーカーを演じていたことは知る人ぞ
知る事実。それでも妙に憎めないキャラに仕上げて
いたのは、やはり天才!S.R.K.であった。

今回紹介するのは、原題「Anjaam」(1994年)。
『地獄曼陀羅 アシュラ ~ 女・神・発・狂。』
ヒロインは演技派女優マードゥリー・ディークシト。
サスペンス・ホラーの怪作だ。
おそらく現在まで、そして将来もこれを越える邦題は
現れないだろう…、最凶という意味で。
上の写真は、日本盤DVDのジャケットだが、当時は
これが街頭ポスターとして日本のあちこちに貼られ
ていたのだ。ほとんどトラウマ・レベルである。

【あらすじ】
シャールクが演じるヴィジャイ・ニホートリは資産家の
御曹司。金でなんでも買えると信じている。
(※注 ここでS.R.K.の出世作『BAAZIGAR』での彼の
役名:ヴィッキー・マルホートラと語感や所属階級が
揃えてある、というネタ振りに“ニヤリ”と来なければ
ならないのである。インド的に)
ヴィジャイは飛行機内でシヴァニー(マードゥリー)と
出会い一目惚れ。金の力で口説こうとするが、彼女
には相思相愛の相手がおり、ほどなく幸せな結婚。
逆上した彼は狂気のストーカーとなり彼女の周囲の
あらゆるものを破壊していく。夫の命までも。
そしてその罪をシヴァニーに着せ、彼女は逮捕投獄
される。「助けてやるぞ」と面会に訪れたヴィジャイを
シヴァニーは罵倒。そして…。

もうとにかく“これでもか”の展開、ノンストップ。
美女でダンスの名手であるマードゥリーが、
①競馬狂いの叔父がシヴァニーからお金を奪おうと
したら腕に噛みついて肉を食いちぎりルピー札を口
に突っ込んで窒息死させる。
②悪徳刑事に追い詰められると逆襲に転じ紅蓮の炎
のなか逃げ惑う刑事を情け容赦なくメッタ斬り。
等々、いま改めて見ると、いわゆる黒歴史?と心配に
なるほどだ。DVDジャケットの裏には当時試写を見た
日本の芸能人のコメントが載っているが、
「まちがって氷をまる飲みしてしまったような気持ちの
悪さでした」(西◯知美)

…え~と、まぁ、そういうことだ。
初期シャールク作品の定番で、この映画でもラストに
彼の演じる男は死ぬが、G.ONEのような全自動復活
機能搭載のストーカーじゃなくて、よかった(笑)。

インド公開当時ヒットした劇中歌。
「Badi Mushkil Hai」

https://www.youtube.com/watch?v=aFgnLiYFvvw&feature=youtube_gdata_player
「Chane Ke Khet Mein」
https://www.youtube.com/watch?v=cZ8ox5mrj_E&feature=youtube_gdata_player

三度目の春

三度目の春
三度目の春
三度目の春
東日本大震災から二年、被災地に三度目の春が来た。
「始めなければ、何も始まらない」
震災後、多くの日本人が実感したことだと思う。
情けないことに人は時として“なにをすればいいのか
分からないから”と、始めることをやめてしまう。
下手な考え休むに似たり、である。どれほど御大層な
理屈で繕って見せても、所詮は居眠りと同じだ。
遅過ぎることはない。感じて、立ち上がるなら、それが
すべての始まりとなる。

自然に感じればいい。幼い頃、目の前にる人が悲しい
顔をしていたら、自分まで悲しくなったはずだ。
きっかけはそれでいい。
共感力と想像力が行動を生むことは云うまでもない。
仏典が説くところの「衆生病むゆえに、菩薩病む」とは
理念や哲学ではなく、行動を指した言葉なのだ。

たいしたことはできない、それが当たり前だ。
親鸞はこう云った。
「悲しみの淵にいる人たちに対して偉そうな説教など
するな。ましてや、その悲嘆をいさめたりするな。
人間はそれほど立派に出来ていない。おのれ自身を
省みれば分かるはずだろう。その奸詐な本性を埋め
隠して、善意の賢者でも気取るつもりか?
むしろ酒でも勧めて笑わせるほうが、人間らしい」
(『口伝鈔』第十七、十八章。取意)
被災地の方々と御縁をいただいて、改めてこの言葉の
凄みを知った。

自然を感じればいい。春はみずからが立ち上がること
を躊躇うか?野の花が春の訪れを疑うか?
そんな単純な、と嘲笑う声もあろう。
だが、どんなに複雑な事柄も、最初の糸口は一つ。
そして大事なことほど両手を添えて一つに集中せなば
指の間からこぼれ落ちてしまうものだ。
ゆえに合掌とは、両手で取り組む真摯さの象徴である。
また真摯とは、自然の別名でもあるだろう。

三度目の春。自然に、真摯に、何かを始めよう。

【写真上】津波ですべてが流された被災地に咲いた花。
【中】JR常磐線山下駅跡。今は草が線路を覆う。
【下】宮城県亘理郡山元町立東保育所園児犠牲者の
献花台に奉建された、寄せ書き塔婆。

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