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祈憶(きおく)

祈憶(きおく)
祈憶(きおく)
祈憶(きおく)
「祈る」とは、「憶(おぼ)えておく」こと。
東日本大震災による津波で気仙沼市鹿折地区に
打ち上げられていた大型漁船第18共徳丸の解体
作業が、去る9月9日から行われている。
また42人が犠牲になった南三陸町防災対策庁舎
の解体も決定された。
震災を思い出して辛いという地域住民の方々の
声、今後の補修・保存に掛かる費用を考えれば、
土地にいない者がとやかく言えることではない。
むしろ問うべきは、被災当事者でない者が嫌な
ことは忘れようとしているかの如き、今の冷酷さ
ではないだろうか。
己の快感の為だけに光を探し、ただ不快感から
逃れる為だけに闇から目をそらす。
「自分は何もできないから」
そう言った直後にヘラヘラ笑って話題を変えら
れるその“強さ”があれば、何かできるはずだ。

「悼み」は、「傷み」に通じる。
ゆえに追悼は傷みと向き合うこと、他者の傷み
に寄り添うことから始まる。
それはまた記憶すること、記憶を共有すること
でもあろう。

古今東西のあらゆる宗教は記憶から発生した。
畢竟、仏典も聖書もクルァーンも、言っている
ことはただこの一点…、
「ブッダを、神を、思い出せ。そして記憶せよ」
或いは親鸞門弟:唯円(『歎異抄』編者)の、
「先師の口伝の真信に異なるを歎き」
これらはみな記憶に傷む思いから発しているの
ではないだろうか。

「祈り」は、また「意の理」でもあるはずだ。

【写真上】大震災の年の6月、気仙沼の被災地を
訪ね、共徳丸を読経供養する佐々井秀嶺師。
【中】インド中南ナグプール市郊外に佐々井師が
建立した東日本大震災慰霊碑。
【下】慰霊碑の前で佐々井師から大震災の説明を
受け、涙を流すインド仏教徒。

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