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2014年3月

ONLY EDO (厭離穢土)

Eshinkyo
「日めくりカレンダーの標語」程度のものに権威
や特殊性は必要ない。ましてやそれが粛清をかい
くぐって現代に生き延びた門外不出の秘伝の知恵
などと言われたら、呆れるしかなかろう。
特定団体がその内輪だけで言っているのであれば
余程でない限りは憲法の許す範囲だが、公教育の
場で採用されたとなれば、事情は別だ。

何のことを書いているのか?と首を傾げる向きも
あろう。江戸しぐさ(登録商標)の話である。
“傘かしげ”や“こぶし腰うかせ”等、なんとも
長閑な江戸人情噺風だが、ただそれだけのことで、
日めくりの標語と変わらない。しかし当時の生活
文化では考えにくいことが多く、不定時法だった
あの時代に分単位の時間厳守を戒めた“時泥棒”
に至っては、呼称ともども現代そのもの。
これが今、江戸期にあった史実として学校の道徳
教育に採用されているのだ。火事と喧嘩はどこへ
やら、士農工商も関係なかった江戸 Xanadu?
既にネット上では多くの批判がなされているので
調べていただければ分かる。また一般書籍として
彩図社刊『謎解き古代文明DX』214頁、30・古代
以来の知恵「江戸しぐさ」にその実態が簡潔明瞭
に記されているので、是非御一読いただきたい。
商標を持つ団体の主張によれば、この江戸しぐさ
は江戸講と称する豪商の会員制高級倶楽部だけに
伝えられてきた秘伝であり、彼ら江戸講は、明治
維新の際、官軍の“江戸っ子狩り”によって虐殺
されたという。

拙は一介の坊主に過ぎず、教育問題の専門家でも
歴史学者でもない。
だが、些かインドのカースト制度の現実を知る者
として看過できない点がある。それは江戸しぐさ
なるものが包含する、階級制是認と強者礼賛だ。
◎うかつあやまり
例えば足を踏まれても踏まれた側が「迂闊でした」
と謝って丸く納め、揉め事を避けること。
◎逆らいしぐさの禁
目上を敬い、反対意思を表示しないこと。
◎横切りしぐさの禁
人の前を横切るのは無礼。江戸時代、大名行列を
横切って許されのたは、赤ん坊を取り上げに行く
お産婆さんだけだった…云々。
これらが士農工商の階級社会で何を意味し、どの
ような悲劇を招いたか、容易に想像がつくはずだ。
(むしろその想像力を育む方がよほど道徳教育に
相応しいと思うのだが)。
また、差別される痛みを「足を踏んだ者は痛くも
痒くもないが踏まれた者は痛い」と喩えて言うが、
まさにこのことである。しかもその秘伝とやらが
特に選ばれた社会的成功者だけに許されたという
露骨な弱者切り捨ての思想。
もし、上の三つを実際に見てみたいならインドの
農村部へ行けばいい。カースト制度で虐げられた
民衆は、今もこの屈辱を強いられている。

最後に、仏教の坊主として一言。
江戸しぐさでは“ロク”と呼ばれる超能力の一種
が習得できるそうな。いわゆる第六感らしい。
さて、ここでやっと一番上の画像へと話が繋がる
わけだが、これは江戸時代、文字が読めない人の
ために絵で示した般若心経である。
「まか(お釜の逆)はんにゃ(般若の面)はら(腹)み
(簑)た(田んぼ)しんきょう(神棚の鏡)」
読み書きの覚束ぬ人も唱和できた般若心経には、
「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至
無意識界」
とある。眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器
とその対象世界、知覚によって形成される認識は
すべて実体がない、と説いている。すなわち五感
ではなく意識も含む六感(=六根)が基本であって、
Sixth Senseを特殊能力視していなかった。
会員制高級倶楽部に認められたような豪商ならば、
仏教知識も名士の嗜みの一つとされた時代、般若
心経の教えをおおまかに理解していた人間も少な
からずいたのではないか。
あるいはその他にも「六根清浄(眼・耳・鼻・舌・
身・意の六感よ、染垢を離れて清らかなれかし)」
などは、一般の人口に膾炙していた。
ロク(第六感)には実体がない、汚れている、と。

すべては無である、と。

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