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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

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光明東漸

光明東漸
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光明東漸
去る10月某日、神奈川県にて在日インド仏教徒主催によりアンベードカル博士の仏教復興宣言を記念する例年行事が行われた。
『Dhamma Chakra Pravartan Din (転法輪祭)』
今から59年前の1956年10月14日、インド中央部ナグプール市において、約30万人の被抑圧階級、いわゆる「不可触民」がヒンドゥー教から仏教に集団大改宗した。この空前絶後の大変革を指揮したのが、同じく被抑圧階級出身のインド初代法務大臣にして現行インド憲法の起草者、ビームラーオ・アンベードカル博士であった。そしてその遺志を受け継ぎ、今もインドの大地で民衆と共に様々な苦難と闘っているのが〈元〉日本人:佐々井秀嶺師である。
佐々井師が祖国を離れたのは1965年。ちょうど50年前のことだ。まさに半世紀に渡る佐々井師の菩薩行は、今年、日本で一つの大きな実を結んだ。開創千二百年の聖地高野山に、国内初の「アンベードカル博士像」が建立されたのだ。それはまた、日本在住のインド仏教徒にとっても無上の喜びであることは云うまでもない。異郷の地で、言葉と文化に難渋しながら生活している彼らには、一条の太く確かな希望の光となった。ゆえに、今年の転法輪祭は、いつにも増して熱気に溢れていた。

プログラム後半、拙の法話コーナーでは、今夏ナグプールで佐々井師から言付かった在日インド仏教徒へのメッセージを読み上げた。8月30日の誕生会後に口頭で受けた日本語による言付けを、ササイ・ジーのヒンディー語説法を再現するように翻訳したものだ。とはいえ責任重大。緊張を跳ね退けるように声を張って読む。
《原文抄出》
「思い返せば私がインドに住むようになって50年たちました。今まで無事に生きて来られたのは、今日ここにいる皆さんのお父上お母上、お祖父様お祖母様が、私を支えてくれたからです。私は日本人に生まれましたが、今ある私の命はインド人が与えてくれたものです。本当にありがとうございました」。
…読み終えた。湧き起こる歓喜と感謝。佐々井師の偉大さを改めて思い知った。

帰路、古参の仏教徒に最寄りの駅まで送ってもらう道すがら、晩秋の夜風に吹かれながら、拙の胸中には深い感慨がこみ上げていた。
「おやっさん(佐々井師)は、とっくに見抜いていたんだよなあ。この人たちが、仏の子だっていうことを」
ジャイ・ビーム!

【写真上】高野山アンベードカル像とB.A.I.A.E.(アンベードカル博士国際教育協会)メンバー。
【中】在日インド仏教徒婦人部の艶姿。
【下】転法輪祭の夜の供養食。近所の百円均一で買い揃えたらしき瀬戸物の器に盛られたインドの家庭料理(仏事ゆえ「お精進」のヴェジタリアン)。
彼らは、生活者なのである。

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