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反骨の仏陀

反骨の仏陀
※8月28日南天会交流会:高山龍智講演より抜粋
《原語の息吹に聴くブッダの反骨精神》
日本仏教はパーリ語、サンスクリット語原典からの漢訳の、そのまた日本的解釈です。インドは表音文字の文化、中国は表意文字、そして日本は表音(仮名)と表意(漢字)の混合文化ですね。文字と言語の有り様が三国では異なっているわけです。
『世の中は 東西南北あるものを 南が無いとは 釈迦も粗忽よ』
これは江戸時代の戯れ言で、異伝も多種あるようですが、その意味は、サンスクリット語で帰依・崇敬を意味するナモ、その当て字の南無を、漢文として読むことの頓珍漢を嗤った冗談なんですね。表音文字の国インドの言葉を、表意文字の文化で理解しようとする滑稽さ。言い換えるなら、江戸の町衆にはこれを笑えるだけの仏教知識があったということになるでしょうか。
各宗の御祖師様方…最澄・空海・法然・栄西・親鸞・道元・日蓮・一遍…は、当時の日本人として日本語で思考ながら、求道者の心眼を以て漢訳経巻の紙背に達し、遥か大天竺は霊鷲山の會座、祇園精舎の法莚に直参なされました。しかるに後世の教団は、ややもすれば世俗的な権威組織に傾斜し、ともすれば宗派根性に引きこもり、あるいは衒学趣味に囚われて、甚だしきは勤行の節回しに正統や邪流を語るが如き体たらく。それは、我宗(がしゅう)という我執(がしゅう)ではないでしょうか。
現代はネットを通じて欧米を始め英語圏における仏教研究の成果を即時に閲覧できる時代です。また、市販の仏教辞典の索引に紹介されているようなサンスクリット原語であれば、それと流れを同じくするヒンディー語はスマートフォンの翻訳アプリで対応でき、ローマ字入力によって、印←→英←→和の現代語訳が、掌の上で可能となりました。

◎ブッダが説いた無常は「詠嘆」ではない。
もともと古典的なヒンドゥー教で云われてきた「恒常」を意味するニティヤ。波羅門を敬い、供犠と献身を欠かさず、カーストごとに定められた職業に生涯を捧げれば、恒常的幸福が得られるという思想です。しかしそれは波羅門(ブラーミン。神官)・刹帝利(クシャトリア。武士)・吠舎(ヴァイシャ。町民)・首陀羅(シュードラ。農奴)の四姓のうち、上位三階級までのこと。首陀羅や、その下の旃陀羅(チャンダーラ。いわゆる不可触民。パリヤー、ダスユ等とも)は、ただ上位階級に隷属・奉仕するのみで、輪廻転生せず、虫けらのように「涌いてくる」ことが恒常、とされていました。
このニティヤに No!を突き付けたのが、ブッダです。それが、無常の教えですね。
無常の原語はアニティヤ。アは英語のUnに該当する否定冠詞で、これによって恒常の語は、一時的・変化する、といった正反対の意味に変わるのです。
ところが日本人は多くの場合「仏教の思想は無常」と最初に覚えさせられてしまうため、アニティヤの持つ反骨と革新性が理解されにくいんですねえ。有名な『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のような情緒的詠嘆として、初めから認識されてしまうわけです。だがそれは、例えて云うならば、ラッキーという言葉を知らずにアンラッキーの語だけを先に覚えるようなものであります。
恒常(ニティヤ)の論理が支配と差別に利用されることは、洋の東西や時代を問いません。かつてわが国は「神洲不滅」というニティヤを掲げて戦争を起こし、大陸の人々を支配、差別しました。また現代日本においても、「美しい国ニッポン」、あるいは純粋日本人といった恒常不変な存在があるかの如く盲信し、排他独善に浸り、なかには在日外国人に対して罵詈雑言を浴びせる者すらいる。恒常は、守旧を至上とし変化を拒む。まさしくそれ自体が権力の論理なのです。
常ならざるものを恒常と偽るがゆえに起こる人間の苦悩、煩悶、それらの集合体としての社会矛盾。ブッダは、暴力・略奪・獣欲・虚偽・逃避の上に成り立つ人間社会の現実を見抜いて五戒…不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒…を説き、その元凶たるニティヤに対し、大慈悲心に基く反骨の精神を示して、アニティヤを説かれたのだと思います。
最後に確認しておかねばならぬ重要な点があります。
パーリ語やサンスクリット語は、現代インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、ビームラーオ・アンベードカル博士、アーリア・ナーガールジュン佐々井秀嶺師、そしてインド仏教徒にとっては、翻訳を要さない「国語」であるということです。つまり、アニティヤ(無常)も、原語の息吹そのままに、ブッダの大慈悲心に基いた反骨と革新性をもって、じかに理解されるのです。

【写真】インド・ナグプール下町の仏教青年会事務室でアンベードカル博士の肖像を背に気合を充填している「反骨の菩薩」佐々井秀嶺師。

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