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2016年10月

本能即菩提

仏教徒誕生
仏教徒誕生
仏教徒誕生
去る10月9~11日、インド三角大陸の中央:南天龍宮城ナグプール市において、仏教復興の大先達にして現行憲法起草者アンベードカル博士の第60回『改宗記念祭』が開催された。
その歴史的大行事の導師は、云うまでもなく元日本人:佐々井秀嶺師。御歳八十一(インドは数え年なので82)の老躯は今や満身創痍、しかも二年前に危篤状態から奇跡的に復帰したお体である。
「復帰じゃないよ。本当に、死んで帰ってきたんだ」
とは御本人の弁。佐々井師流に言うならば《蛇の脱皮》といったところか。今回私は、改めて師の「超人ぶり」をまざまざと至近距離で見ることとなった。
早朝に寺を出て改宗式会場へと移動し、文字通り朝から晩まで、ぶっ通しで式の導師を勤められた佐々井秀嶺師。年齢と健康状態を考えれば、常人では絶対に不可能なこと。しかもそれを終始笑顔で、そして朗々たる大音声で、やってのけるのである。
(恥ずかしながら私は、最終日の改宗式が終了したとき立ち上がろうとして暑気当りと空腹と貧血で平衡感覚を失い、膝から崩れて倒れそうになってしまった)
数年前佐々井師を直接診た日本の高名な医学博士は、あくまで仮にですが、と断った上で以下のように述べられた。
「この方はおそらく、間脳の機能が人一倍発達しているのではないかと。いわば野性的な本能に近いところで周囲の気配や相手の気持ちを察知し、それが並外れた行動力を生み出すもとになっているのではないか、とね」
確かに、佐々井師の前で嘘はつけない。こちらがどれほど平静を演じてその場を取り繕う言辞を並べても、ギロッと睨んだ上で、鼻先で嗤われる。あれはやはり野性の勘なのか。もしかしたら、いわゆる神通力とは、案外そういうものなのかも知れない。ちなみに神通力のサンスクリット原語は『シッディ』。本来は成就・達成を意味する言葉だ。野性的な本能が研ぎ澄まされていかなければ達成はない、ということなのか。煩悩即菩提にあやかるなら、「本能即菩提」とでも云うべきか。

さて、すべての行事を終え私がナグプールを去る日の朝、やっと二人だけになれた時、私はこう話した。
    このあいだ、来日の際に収録したNHKラジオの番組を聞きました。二時間半のインタビューが30分に編集されてましたが、よくまとめられていたと思います。それを聞きながら思い出したのは、私がまだ高校生ぐらいの頃、NHK教育テレビで山本秀順先生がお話しされていたのを見たことです。戦時中、反戦運動で逮捕され、獄中で読んだ親鸞の語録『歎異抄』に心を動かされ、窓から差し込む冬の陽に照らされながら、無意識に「南無阿弥陀仏」と唱えた…というくだりを思い出したんです。ラジオとテレビで違いますが、何かの縁(えにし)を感じました。
〈※山本秀順師とは佐々井秀嶺師の師匠である。集英社新書『必生 闘う仏教』を参照のこと〉
佐々井師は目を細めて、
「そうか。…うん、ありがとう」
と言った。

【写真上】改宗記念祭の前夜祭たる国際仏教徒大会で挨拶する佐々井秀嶺師。
【中】ヒンドゥー教から仏教へ改宗する民衆一人一人の目を見つめる師。
【下】記念祭に参集したインド仏教徒。その想像を絶する人数に圧倒される。
【ツイッターまとめ】実況画像や動画もたくさんありますので是非ご覧ください。

http://togetter.com/li/1038493
【YouTube】改宗記念祭ハイライトムービー(約1分)
https://youtu.be/pgkxrOTztvo

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