2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
フォト

書籍・雑誌

写真が語る『少林寺』

写真が語る『少林寺』
先日、東京銀座のヴァニラ画廊にて、大串祥子さんの写真展『少林寺』を鑑賞した。
未だかんばせに幼さの残る少林寺の武僧たちは、不殺生戒を守って肉食を絶ち、主たる蛋白源は豆腐など植物性のみという食生活の中で、身心を極限まで鍛え上げ、仏祖に祈りを捧げる日々を送っているという。
大串さん「少林寺に演武はありますが試合がないんですよ。だから優劣・勝敗といった、ライバル心みたいなのが感じられないんです」
「武僧の〈片手拝み〉は禅の『慧可斷臂』に由来するそうです」

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/suibokuga/item06.html
どれも私が知らなかったことばかりだった。
さて、大串さんの写真展で私がまず一番最初に感じたのは、修行する若者たちの〈明るさ〉だった。いわゆる、戒律を守った厳格な暮らし、といった言葉からイメージされるような日本的…体育会系?…な悲壮感は、まったく窺えなかった。みんな好きだからやってる、そんな顔に見えた。云うまでもなく、まだ親に甘えていたい年端の頃から寺に籠っているのだから、それぞれの心の内には様々な葛藤、煩悶があるはずだ。
なのになぜこんなに明るく見えるのか?
おそらくそれは、彼らの思惟に「身体性」が伴っているからではないだろうか。あらゆるスポーツに共通していることだが、トレーニング中はみずからの呼吸に意識を集中し、筋肉の端々まで念を届かせなければ、大怪我をする。これこそまさにサンスクリット語でいう「ディヤーナ (attentionの意。音写した仏教語が禅那、略して禅)」であろう。
さらに、あえて平たく言うならば、彼らは「したいこと・しなければならないこと・できること」、この三つが矛盾なく自然に整った状態に心身を置いている、とも云えようか。それが少林寺の武僧たちの〈明るさ〉の理由だ、と私は思った。
翻って、現代社会を見るならば、往々にして、言葉だけが先走ることを知性と勘違いしている傾向が強いように思える。つまり、思考における身体性(フィジカル)の欠如。これを伝統的な仏教思想では「愛論戯論」「世智弁聰」と戒めている。
また、私が伺った当日、他の鑑賞者から出た言葉に、
「(少林寺の武僧は) むかしの日本の僧兵みたいなものとは違うんですか?」
というのがあった。無論、両者の歴史的成り立ちや社会に及ぼした影響は、まったく異なる。日本の僧兵は、仏教僧でありながら神社の御神輿を担ぎ出して街中を暴れ回り、お布施しなければ天罰が当たるぞ!と恐喝して人々を苦しめたチンピラだった。

最後に、大串さんの写真集『少林寺』沙弥108~109ページ見開き「三壇大戒、千佛殿にて読経する沙弥たち」で殿内に掲示された〈禮佛懺悔〉の文を現代風に訳して紹介したい。

    自分は、始まりもない遥かな昔から、今の人生に至るまでずっと、真実と真実に到る道とその道を歩む人々の邪魔をし、みずから変化の可能性を放棄し、万人救済の教えを誹謗し、智恵を絶ち、父母を悲しませ、聖者を傷つけるような振る舞いを繰り返し、おおやけの場を乱し、他人の道徳的行為を妨害し、聖域の破壊に加担し、公共財を私物化し、様々な間違った考えを起こし、物事の道理を無視し、悪い仲間に近付き、良い先生に背いて来ました。しかもそれを自発的におこない、また他人もそうするようにそそのかし、そのことを楽しんで来ました。だからずっと悟りを開けずに、輪廻転生を繰り返してきたのです。
これら今日までの罪は計り知れませんが、いま慚愧の思いですべてを告白します。どうか、真実と真実に到る道とその道を歩む人々よ、お慈悲の光でこの身を照らしてください。そして、どうか、自分本来の心を取り戻させてください!

◎《大串祥子さんのHP》
www.shokoogushi.com
◎写真集『少林寺』 発行:Libro Arte(リブロアルテ)  発売:メディアパル
本体3600円+税   ISBN978-4-8021-3045-5
必見必携!

輝く時

輝く時
新年の幕開けはこのブログに似つかわしくない(笑)、
あでやかな花嫁の笑顔から始めよう。
上に紹介した書影は、ブライダル業界誌、
『HOTERES Wedding ホテレスウエディング』
(株式会社ウエディングジョブ。隔月刊)
ウエディングプランナー・サポートマガジンの今号。

www.wedding-job.com
60ページからの「WORLDWIDE WEDDING」コーナーに
“宗教によって異なるインドの婚礼スタイル”と題して、
拙が紹介役として登場させていただいている。
今回の記事では、特にインド北西部カシミール地方の
イスラム教徒の結婚式を取り上げた。掲載した写真は
すべて現地で撮影したものだ。

かの地を拙が訪れたのは『9.11』事件後、全世界的に
イスラム過激派によるテロが横行していた頃だった。
ここで、カシミールの近現代史を少々・・・。
大英帝国からインドが独立する際、宗教紛争によって
パキスタンとバングラデシュ(東パキスタン)の三国に
分離したのはご承知の通り。
これらインド文化の特徴ともいえる宗教共同体の問題
を、英国側はかなり大雑把に捉えていたきらいがあり、
カシミールについては住民のほとんどがイスラム教徒
であったにも関わらず、領主がヒンドゥーだったために
インド領と決めた。以来燻り続けてきた住民の不満が
『9.11』をきっかけに表面化。拙が訪れた当時は、街の
到る処に兵士が立ち、監視の目を光らせていた。
そんな中で、異国の異教徒たる拙を暖かく迎え入れて
くれたのが今回紹介した写真の婚礼一家。
伝統と信仰に則った婚儀を、あたかも親族同然に包み
隠さず、すべてを見せてくれたのだった。

祝いの宴は、生命からほとばしる「うた」。
唱える神の名こそ異なれど、人が生き、巡り合い、愛が
生まれ、そして結ばれる。その営みに、一体どれほどの
違いがあろうか。

式の導師(イマーム。イスラム僧)が帰り際に言った。
「神様に間違いはありませんよ。間違った信じ方をする
人間がいるだけです」

『一個人』

Ikkojin_2
月刊誌『一個人』2011年3月号:保存版特集「仏陀の言葉」
<KKベストセラーズ>に佐々井秀嶺師のインタビューと
写真が掲載されている(102頁より。写真は山本宗補氏)。
取材した松岡宏大氏の筆は、佐々井師の飾らない語り口
を忠実に再現していて秀逸だ。
内容のあらかたは既に『必生 闘う仏教』(佐々井秀嶺師著、
集英社新書)の中で述べられていることだが、山本宗補氏
の鮮やかな写真の数々によって、佐々井師の息づかいや
その体温までもが伝わってくるように思えた。

「インドには救いの手がさしのべられていない人がまだ何千
何万とおるんだ。(~中略)困っている人にものを与えたり、
そんなことではだめなのです。(~中略)仏教は国家を救わ
なきゃならんという使命感でやっております。(~中略)社会
を変えていかなきゃならん。(~中略)新しい社会を作る。
それがインド仏教の役割なのです」
この言葉は『必生』29頁、
「千年一日の如く個人の心にばかり重点を置き、ほかの人
の苦しみには無関心で、迫害に喘ぐ人々をむざむざ死なせ
てしまうような仏教であったなら、人間にとってマイナスだ」
ということ。念のため佐々井師は障害者児童の福祉施設に
文房具等を寄贈する活動も普段から行なっている。

「アンベードカルはビルマの高僧を呼んで改宗したのだから
小乗(上座部)仏教だという人がいます。しかし、彼のことを
調べれば調べるほど小乗ではない。アンベードカルの仏教
は大乗も大乗、極大乗です」
佐々井師は、アンベードカルの思想をすべて社会的実践の
中で体得してきたのである。文字通り、身をもって。

「まあ、なにか少しは、人の役に立ったのではないか」
との述懐が胸に迫る。

闘う仏教徒たち

畏友のインド研究者:榎木美樹さんが社会学の視点
からまとめた調査報告が出版された。

『インドの「闘う」仏教徒たち』(風響社)
改宗不可触民と亡命チベット人の苦難と現在
~ブックレット《アジアを学ぼう》18~
ISBN678-4-89489-745-8 定価800円+税

Bookasia_4

榎木さんは佐々井秀嶺師に随身同行しナグプールの
仏教徒を面接調査、またダラムサラのチベット仏教徒
と暮らしを共にしつつ、亡命政府の内実を詳細に報告
してくれた。
一見、被差別民と難民という虐げられた仏教徒同士の
間に親和性を夢想しがちだが、インド中南部と北西部、
その地理的な距離以上に、彼らの隔たりは大きい。
コミュニティーごとに分断されたインド社会という特殊な
環境の中で、インド仏教徒とチベット仏教徒は、現在に
到るまでほとんど交流がなかった。
その理由の一つとして、インド仏教徒が聖地奪還等の
政治運動を起こすことは国民の権利だが、同じことを
亡命チベット仏教徒がすれば内政干渉になってしまう、
という致し方ない事情がある。
榎木さんはこういった過去を踏まえた上で両者が現在
それぞれ抱える問題点を忌憚なく挙げ、そして未来へ
希望をつなぐ。

「あとがき」(63頁)で紹介される佐々井師が榎木さんに
語った言葉は感動的だ。ぜひとも、
佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』(集英社新書)
と合わせてお読みいただきたい。

『必生』への道

改めて『不可触民の道』(三一書房)を読んでいる。
著書は故山際素男先生。
手元にあるのは93年6月第一版第六刷。初版は82年
2月だ。その前年、山際先生は佐々井師と会った。
ワシがインドを初めて訪れたのが92年であり、帰国後
書店に注文して取り寄せたときは新品だったこの本も
ページがセピア化を始めている。
いまでいう、新書サイズのこの一冊と出会えたことが、
ワシのその後の人生を大きく変えた。
佐々井秀嶺。とてつもない男が同時代に生きている。

存在を知った時は、驚嘆した。また、畏怖をも感じた。
こちらは生臭坊主といえど同じ仏門に身を置く者。
草野球ではエースで四番のつもりでいてもイチローや
松坂とガチで勝負できるとは思わない。
だからその後、年に二回、十年以上もインドへかよい
続けたが、ナグプールだけは避けて通っていた。

やがて『9.11』勃発。世界は宗教対立の時代となる。
その後も日本とインドを往復しながら、たびたび逡巡を
繰り返してのち、やっと決心がついた。
(佐々井師に会いに行こう)
ノー・アポで訪ねた生臭坊主を師は笑って受け入れて
くれた。
「おかしいじゃないか。私のことをずうっと前から知って
いて、十何年もインドに来てながら、このナグプールへ
来るのは今日が初めてだ、なんて」
怖かったんです上人のことが。と、馬鹿正直に答えた。
「がっはは!獲って喰ったりはせんよ!」

こうして始まった佐々井師との法縁が、やがて2009年の
一時帰国、そして今年の『必生』につながった。
山際先生は『不可触民の道』末尾にこう記している。
「佐々井師を援け、不可触民の援軍に駈けつけてくれる、
仏教徒がどのようなものであるかを“知っている”ひとが、
ほかに現れてくれるのを期待したい」
・・・何もかもすべては、山際先生のお導きだったのだ。

『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)
皆さまのお陰を持ちまして、発売後約一ヶ月で重版となり
ました。厚く御礼申し上げます。編者拝。

一ヶ月目の奇跡

『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)
発売から一ヶ月が経過致しました。
多くの皆様にご高覧賜り、またこの間、熱い感想と心温
まる励ましのお言葉を頂戴しました。
著者に成り代わりまして、改めて御礼申し上げます。

佐々井秀嶺師及びインド仏教復興運動への支援活動は
あまたの先人によって切り開かれた道であります。
しかし、変化を続けるインドの政治、世界経済の激変等、
時代と世情により左右されてきました。
また、昨春二カ月間の佐々井師一時帰国の際、各地の
講演会で寄せられたご質問の中に、
「佐々井上人にお布施したいのだがどうすれば?」
というお声がございました。
個人での海外送金は高い手数料がかかり、浄財を圧迫
してしまいます。あるいはまた、
「インドまで行って上人のお話を伺いたいのだが、とても
行けそうにない。残念でならない」
といった切実な思いを告げられた方もおられました。

ならば、講話集のようなかたちで一般の皆様にご提供し、
その印税が直接、佐々井師へと送金されるようにすれば
良いのではないか・・・との考えから、佐々井師の全面的
ご協力を得て、遂に先月発売の運びとなったのです。

さて、以下は編者の極私的出来事。
発売後一ヶ月を迎える日、介護施設に入所している老親
を見舞ったときのこと。
介護度5で、用便はおろか、自力で寝返りを打つことすら
出来ない老親は、当然のことながら、前月に刊行された
『必生』を読めないままであった。
ところがその日、(ページを開け)、と枯れ枝のような手で
意思表示を
したかと思うと、本を編者に持たせ、食い入る
ように読み始めたのである。

その夜、親しい法友からメールが来た。
「今日は山本秀順阿闍梨様のお墓参りをして来ました」
(『必生』25~36頁参照)
他人が信じようと信じまいと、一ヶ月目の奇跡であった。

『必生』こぼれ話⑥

<第六回 臥龍の系譜>
佐々井秀嶺師が育った岡山県山間部には『平家落人伝説』
がいくつか残されている。
貴人流離譚の類、と一括りにすればそれまでだが、正史に
漏れたいにしえの敗者の怨嗟は、時に人間の真実を語る。
なぜなら歴史は、いわゆる勝者(武力において勝った者)が
記す独善の創作物語だからだ。
敗者弱者に寄り添う師の精神世界において、出雲族、平家、
また古代インドの被征服民ドラヴィダ族は、一連の繋がりを
もっている。これは、下手をすればトンデモ偽史に化けかね
ない話だが、その底流には佐々井師の慈悲心がある。

「子供のころ父親について山仕事に行ったとき、少し開けた
ところで急に立ち止まった父が、こう言ったんだ。
“ここは源氏射場といってな、その昔源氏の追手がここから
向こう側の崖に向けて矢を射掛けた場所なんだ”
そして、反対側の断崖を指差した。見ると頂上あたりの岩が
赤く染まってる。平家の落人が流した血が、怨念と共に染み
ついた、そんな言い伝えがあったんだな」
清盛が信仰した厳島の祭神は、蛇体の弁財天といわれる。

佐々井師の思想には、“龍蛇(ナーガ)”が深く関わっている。
(『必生 闘う仏教』99頁)
平家物語:壇ノ浦の章で、幼い安徳帝が二位尼に訊く。
「朕は何処へ参るのか」
「弥陀の浄土へ。波の下にも都がございます」
京へ帰るのでなく来世へ行くのです、と入水して果てる。
さて、海底にある都といえば龍宮城。かなり強引ではあるが、
それはナグプールを意味するのだ、と佐々井師。
誤解のないように補足するが、龍蛇として表現される魔族は
地に臥した敗者を指して勝者が謂ったものだ。
出雲のオオクニヌシも、本来の名称オオナムチ(大穴持)が
表わす如く、地に(洞窟に)潜む蛇体神である。

龍宮城、龍蛇神、後進勢力に滅ぼされた先住民・・・。
みずから「平家落人の末裔」を称する佐々井師にとり、これら
敗者の系譜こそが、生々しい人間の真実なのだ。
すべては、痛みに共感するがゆえに。


これもまた専門的な研究論文一本分に相当するため、割愛
致しました。

『必生』こぼれ話⑤

<第五回 机という小乗>
佐々井秀嶺師の読書量は驚異的だ。それは、幼少期から
(『必生 闘う仏教』13頁)今日まで一貫している。
テレビのない時代の山村で、蓄音機とラジオのほか娯楽と
いえば読書しかなかったわけだが、映像や音のような情報
の方から寄ってくる媒体ではなく、受け手が“読もう”と意思
しなければ受け取れない読書という認識法が、佐々井師の
人格形成に与えた影響は少なくないはずだ。
膝下で謦咳に接するようになって七年ほど経つが、ある時
編者は師の胸を借りるつもりで、仏教に関する問答を仕掛
けたことがある。大小・顕密・権実等、知り得る限りの角度
から勢い込んで斬り掛かったが、塚原卜伝の故事よろしく
見事あっさりかわされた。そして一刀両断。

だが佐々井師は知識で身を飾らない。むしろ頭でっかちを
嫌う、行動のひとである。
「こんなもんが楽しみでしてねえ」
初対面のときカセット・ボックスを開いて見せてくれた。
中には、広沢虎造をはじめ浪曲大全集のテープがずらりと
並んでいた。この時、佐々井師を四十年間支え続けてきた
ものの一部を、垣間見た気がした。それは、もっともらしい
理屈や能書きではなく、
「困ってる人がいるんだ、黙ってられるか、べらぼうめ!」
という心意気のようなものだ。差別に苦しむ民衆と一杯の
飲み水を分かち合って笑う、浪花節のひとなのである。

「机に齧りついて本ばかり読んどってもダメだ。いうなれば
読書は、出掛ける前に地図を頭に叩き込んどくようなもの。
道に迷わないためには大事だがね」
「机は、知識の小さな乗り物。社会は生身の人間が暮らす
大きな乗り物。机の上だけの仏教知識こそ、小乗なんだ」

「若い不可触民の母親がね、泣きじゃくりながら死んだ赤ん
坊を抱え、炎天下、診てくれる医者を探して駆け回っとった。
もう死んでいる、と言うても聞かんのだよ。医者は不可触民
だから診てくれん、まだ生きてる、と。仕方ないので、母子を
自転車の後ろに乗せ、あちこち汗だくになって走ったよ。
(こんちくしょう!ばかやろう!くそったれ!)
当時は私もナグプールに来たばかりの若い頃だったからね、
日本語で怒鳴りながら、泣いとったよ」

佐々井秀嶺師の菩薩道の原点である。
紙幅の都合上、アンベードカル博士の功績を優先するため
割愛しました。


※『必生 闘う仏教』関連のブログ。こちらもご覧下さい!
http://nagpur.blog.shinobi.jp/

『必生』こぼれ話④

<第四回 武蔵と龍之介>
岡山県出身の佐々井秀嶺師にとり、剣聖宮本武蔵は郷土
が生んだ英雄であり、吉川英治の小説に描かれる求道者
のイメージは、佐々井師の理想でもある。
※但し武蔵の著『五輪書』には播磨国(兵庫県)と明記され
ている。吉川氏が拠った美作国(岡山)説は江戸期から。

昨春、一時帰国の際に「武蔵小次郎巌流島ノ決闘」の像の
前で佐々井師がチャンバラした映像記録も残されている。
無邪気というか、なんというか・・・。

「私の中には龍がいてね。それが宮本武蔵のほうへ行くと
活人剣秀嶺なんだが、もうひとり、逆の方向に机龍之介が
いるんだ。そっち側へ龍が這い出すと、魔性剣秀嶺が出現
してしまったというわけなんだ、若い頃は」
う~ん、よくわっかんないっすよ、俺。
「だから武蔵は求道者だろ?ところが人間、そればかりじゃ
いられないわけだ。迷いもするし嫌気も差す。そのとき虚無
主義者の机龍之介が、顔を出すんだな」
あー。なんかわかる感じっすね。
「聖性と魔性、といったらいいかのな。どっちにしろ、人間の
中から出て来るものだろ。もとは同じなんだ」
リビドーってことっすか。
「気取った片仮名を使うな!つまり“龍”なんだよ!」
逆だったら佐々木小次郎だと思うけど。
「机龍之介なんだよ私の中にいるのは!『大菩薩峠』の!」
お供して行きましたもんね、大菩薩峠まで。
「とにかく、龍がいるんだよ。善も悪もない龍がね。そいつが
武蔵を好めば活人剣求道者秀嶺、龍之介を好めば魔性剣
虚無主義者秀嶺と、昔はさまよっていたわけだ」
文字通り、蛇行ですね。

どうかなこれ?
第二章に出る“生命力という名の龍蛇(ナーガ)”の補足にも
なるし(『必生 闘う仏教』 100頁)、面白い話じゃない?

「机龍之介というキャラの認知度や小説『大菩薩峠』が最近
どれだけ読まれてるか、を考慮すると、補足の上にまた補足
が必要となってしまうのではないでしょうか」

そっかあ。ということで、これも割愛しました。

『必生』こぼれ話③

<第三回 ハヌマーン>
東京国際映画祭にインドから参加した『RAAVAN』の元
ネタとなったヒンドゥー教神話「ラーマーヤナ」。
この神話、インド仏教と浅からぬ関係があるのです。
ややこしい話ですので大雑把にくくりますとヒンドゥー教
三大神:維持神ヴィシュヌの七番目の化身がラーマで、
このラーマを主人公とした物語が上記の神話です。
ちなみにお釈迦様は九番目の化身、ということになって
いますが、これはヒンドゥー教徒の勝手な言い分です。
またラーマの聖地とされるアヨーディアで起きた事件に
ついては『必生 闘う仏教』集英社新書 119頁および
122頁をご参照ください

神話の粗筋はすでに紹介したので繰り返しません。
さて、インド仏教復興運動と関わりがあるのはラーマに
使役された、猿神ハヌマーンのほうです。
この孫悟空のルーツともいわれる超能力ザルゆかりの
地が「ラームテク」と称されるヒンドゥー教の聖地であり、
その下には、大乗仏教の重要な遺跡が覆い隠すように
埋められているわけです。(同書137頁参照)
神話世界で“魔族”と呼ばれる人々は征服された先住民
という例。それに、かつて“不可触民”と蔑まれた人々が
ラームテク(=大乗仏教発祥の地マンセル遺跡)に近い
ナグプールの民衆であることを考え合わせると・・・。

しかもハヌマーンは、神であっても猿なのです。
理想の人間像として登場するわけではありません。
神話が、文字どおり古代史の「神話化」であるなら、そこ
には侵略者(神)に屈伏して手先(猿)となった被征服民、
という記号さえ読み取ることも可能なはずです。
92年12月アヨーディアで起きた事件で、直接破壊活動に
携わったヒンドゥー教徒は、おもにシュードラ(農奴)階級
だったのです。佐々井秀嶺師は、
「あれはハヌマーンにやらせたのと同じやり方だ!」
と、ひときわ声を荒らげて語りました。
アヨーディア事件に限らず、仏教徒弾圧についてもその
先鋒をやらされるのは、低位カーストの人間です。
立場の弱い者に、さらに弱い者を叩かせる巧妙な手口。
差別構造に君臨する輩は決して手を汚さない、と。

以上も、これだけで専門的な研究論文一本分にも相当
するため、割愛いたしました。