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仏教・宗教全般

佛道と藝道

佛道と藝道
佛道と藝道
7月1日(土)、インドと日本を結ぶ義理人情浪花節の心、史上空前のコラボが遂に実現!
於:角筈区民ホール3階 (新宿区西新宿4丁目)
18;30開場  19;00開演
※参加受付・お問い合わせは以下のサイトにて。尚、お席に限りがございますので申し込みは何とぞお早めに!

https://tiget.net/events/11544

佐々井秀嶺。
今から五十年以上前、浪曲を愛したひとりの青年僧が日本を飛び出した。その人の名は、佐々井秀嶺(1935年生まれ)…。みずからを「世紀の苦悩児」と呼ぶ彼の生きざまは、まさに破天荒。恋に苦しみ人生に悩み、自殺未遂三回、放浪の果てに転がり込んだ寺に拾われ、やがて僧侶の道を志す。1965年、師匠山本秀順の薦めでタイへ留学、二年間の修行を経て仏教の故国インドへ渡り、かの国でヒンドゥー教による差別に苦しむ民衆、いわゆる「不可触民」と出会う。1987年インド国籍取得。2009年に帰国するまでただの一度も日本の土を踏まず、インド最下層民衆の解放と仏教改宗運動に身を捧げて、現在に至る。そんな彼を今も支えているのは、日本庶民の心・浪花節。自身も青年時代に東屋流浪曲を学んだ佐々井は、2016年来日の際、東京浅草の木馬亭にて「浪曲界のシンデレラ」こと玉川奈々福と邂逅。

玉川奈々福。
浪曲師・曲師(浪曲三味線奏者)
1994(平成6)年10月、日本浪曲協会主宰三味線教室に参加。1995(平成7)年7月7日玉川福太郎に入門。師の勧めにより2001(平成13)年より浪曲師としても活動。2004(平成16)年「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」全5回、2005(平成17)年「玉川福太郎の浪曲英雄列伝」全5回プロデュース。2006(平成18)年本橋成一監督作品『ナミイと唄えば』出演。同年12月、芸名を美穂子から奈々福に改め名披露目。さまざまな浪曲イベントをプロデュースする他、自作の新作浪曲も手掛け、他ジャンルの芸能・音楽との交流も多岐にわたって行う。今年は日本伝統の話芸を様々な角度から掘り下げる『語り芸パースペクティブ』という事業を開催中。
blog → http://tamamiho55.seesaa.net/s/
Twitter → @nanafuku55

今回、この両者による奇跡のコラボレーションが遂に実現!会の前半は玉川奈々福の浪花節をじっくり(曲師:沢村豊子)、そして後半は佐々井秀嶺との浪曲談義『佛道と藝道』。さてさて、どんな話が飛び出すか、乞う御期待!
現代インドと平成日本、千里の波涛を越えて響き合う浪花節のこころ。かたい話は抜きにして、楽しい集いにしたいと考えています。この機会を是非ともお見逃しなく!
《敬称略》

仏心涌出

仏心涌出
仏心涌出
仏心涌出
先日、在日インド仏教徒の家で法要を勤めた。
日本暮らしも二十年近いその夫婦は、かつて私がまだパーリ語のお勤めも心許なかった頃から、あれこれと面倒をみてくれた篤信者だ。旦那は子供時代、若き日の佐々井秀嶺師が法華の団扇太鼓を叩いて行脚している後ろを、面白がってくっついて歩いたインド下町の悪戯っ子。奥さんは佐々井師からその信心深さを認められ、ルンビニー(藍毘尼園)という法名を授かった「観音様」のような女性だ。
今回、その奥さんから電話で依頼を受けた時も、ところで誰の法事なんだね?と訊くと、
「プージャ(法事)はいつだってバグワーン・ブッダ(世尊仏陀)のためですよ」
と注意された。

さて、家に着いてみると『B.A.I.A.E.Japan』(アンベードカル博士国際教育協会日本支部)の面々が大勢集まっていた。あえて云うまでもないが、佐々井師に出会うまではヒンドゥー教社会で徹底的に差別されたいわゆる元「不可触民」の仏教徒たち。おいおい、一体どうしたっていうんだい?
「決まってるじゃないですか。バンテー・ジー(お坊さん。この場合は私のこと)がインドの新聞に載ったセレブレーションですよ」
驚いた。昨年十月、大手『LOKMAT』紙のマラーティ語版に私へのインタビューが写真入りで掲載されたことの祝いだ、という。記事には、日本にも現代インド仏教徒が50世帯以上住んでいること、徐々にではあるがアンベードカル博士に対する認知度も上がって来ていることなどが書かれていた。ちなみに、祝いが半年後になった理由は、昨年末に全世界で報道されたインドの高額紙幣切り替え騒動。
「ササイ・ジー(佐々井師)を日本へ連れてきてくれたり、私達のことをインドで紹介してくれたり、本当にありがたく思ってるんですよ」
うっかり涙が出そうになった。この人たちは、やはり「地涌の菩薩」(法華経)だったのだ。
そして私は、ここに到るまでの縁(えにし)に思いを馳せ、胸が詰まった。

私の母方には明治末期、解放運動に取り組んだ小寺の住職がいたそうだ。境内墓地にあった「新平民」の墓を他と隔てる垣根を撤去して檀家衆と対立、折悪しく失火により本堂が全焼。しかし再建費の喜捨には垣根の再築を条件とする総代と相容れず、そのため彼は妻子を残して勧進のため托鉢の旅に出た。
生来の直情漢だった彼は托鉢先でも勧進の趣旨を熱心に説いたが、なにぶん「穢僧 (被差別階級と関わる僧侶)」といった言葉がまだ活きていた時代のこと、大概どこでも門前払いを受けたそうだ。そして結果を出せぬまま何十年か経ち、あるとき子供が東京で暮らしていると聞いた彼は、ただ会いたい一心から捜し出して訪ねたが、子にしてみれば自分と母を残して出奔し、寺と家族を破壊した身勝手な父親。積年の怨嗟と共に追い払われた。
やがて年老いた彼は、ある時、小さな田舎町の安宿で大好物の「蕎麦がき」をかきながら、意識を失った。発見された時は蕎麦がきの丼に顔を突っ込んだ状態であり、直接の死因は窒息死のようだった。…以上は、全て亡母から聞かされた話で、客観性は無いに等しい。
だが、子供の私が恐る恐る想像した「安宿の破れ障子から射し込む仄明かりを背に、丼に顔を突っ込んで動かなくなっているお坊さん」の絵姿は、今も克明に焼き付いている。
それが、私の仏教の原点であると云えようか。

ジャイ・ビーム!

【写真上】在日インド仏教徒家庭の仏壇
【中】新聞『LOKMAT』の記事
【下】日本で暮らすインド仏教徒と私。

浪花節菩薩道

浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
「衆生 笑むがゆえに 我 笑む」
師父佐々井秀嶺とは、そういう男である。
云うまでもなく上記の言葉は『維摩経』の「衆生病むがゆえに我病む」を私が勝手に捩ったものだが、抜苦与楽、自利利他円満が大乗仏教ならば、結局同じことであろう。
インド最下層民衆と佐々井師のあいだで半世紀以上繰り返されてきたのは、まさにこの、泣き笑いを共にする菩薩道だった。太古の昔から続くカースト差別の無間地獄を、現世の極楽浄土に作り変えてしまおう、という途方もない「闘い」の道。それは、仏国荘厳(ぶっこくしょうごん)の大白道にほかならなかった。
そのササイ・ジーの原点となっているのは、浪花節。名も無き庶民の、心の襞に寄り添う大衆芸能の精神。いま目の前にいる人の心を抱き止められずして衆生済度など出来ようはずもない、という仏道の根本精神を、佐々井実(みのる)青年は、昭和三十年代の東京浅草で、浪花節の芸道を通じて学んだのである。
さて、今年初夏の来日時、女流浪曲師:玉川奈々福師匠から御招待を頂き、およそ六十年ぶりに佐々井師を浪曲の舞台へお連れすることができた。浅草木馬亭の客席に小柄な体を沈め、息を詰めて奈々福師匠の芸に見入るその横顔。目元には銀の光。…泣いていた。
その後、出番を終えた奈々福師匠が衣装のまま木馬亭の入口までお出くださり、丁寧な御挨拶を頂いた。
「感激したよお、涙と鼻水が出ちゃった」
と佐々井師。

そして十月、私はインド・ナグプールで開催される『第60回アンベードカル博士改宗記念祭』参加のため渡印する際、奈々福師匠から佐々井師への贈り物を預かった。「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E4%B8%AD%E8%BB%92%E9%9B%B2%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 の貴重な音源。
佐々井師は記念行事前の多忙を極める中、夜毎それに聞き入っていたらしく、そうとは知らぬ私が或る朝、
「奈々福さんが焼いてくれた雲右衛門のCD、いつか時間のある時にでも聞いてください。せっかく預かって来たんだから」
と言うと、
「もう聞いてるんだよ!大事なものなんだ!」
…なぜか怒られた。

私の帰国が近付いた頃、「貰いっぱなしじゃ申し訳ないから」と佐々井師から奈々福師匠への返礼として、インドの仏像を託された。大きなものではないが、金属製でズシリと重い。
「よろしく言っといてくれ。それと、お渡しする前におまえがちゃんとパーリ語で開眼供養のお勤めをするんだぞ」
それは、あたかも青年のように清々しく端正な顔立ちの、釈迦牟仁であった。

【写真上】佐々井から託された仏像。
【中】ナグプールのササイ・ジー。
【下】日本式本堂でインド式に開眼供養を勤めた私と、人気の女流浪曲師:玉川奈々福師匠。

YouTube『奈々福の浪花節更紗』 https://youtu.be/5ccDvvHHOqc

本能即菩提

仏教徒誕生
仏教徒誕生
仏教徒誕生
去る10月9~11日、インド三角大陸の中央:南天龍宮城ナグプール市において、仏教復興の大先達にして現行憲法起草者アンベードカル博士の第60回『改宗記念祭』が開催された。
その歴史的大行事の導師は、云うまでもなく元日本人:佐々井秀嶺師。御歳八十一(インドは数え年なので82)の老躯は今や満身創痍、しかも二年前に危篤状態から奇跡的に復帰したお体である。
「復帰じゃないよ。本当に、死んで帰ってきたんだ」
とは御本人の弁。佐々井師流に言うならば《蛇の脱皮》といったところか。今回私は、改めて師の「超人ぶり」をまざまざと至近距離で見ることとなった。
早朝に寺を出て改宗式会場へと移動し、文字通り朝から晩まで、ぶっ通しで式の導師を勤められた佐々井秀嶺師。年齢と健康状態を考えれば、常人では絶対に不可能なこと。しかもそれを終始笑顔で、そして朗々たる大音声で、やってのけるのである。
(恥ずかしながら私は、最終日の改宗式が終了したとき立ち上がろうとして暑気当りと空腹と貧血で平衡感覚を失い、膝から崩れて倒れそうになってしまった)
数年前佐々井師を直接診た日本の高名な医学博士は、あくまで仮にですが、と断った上で以下のように述べられた。
「この方はおそらく、間脳の機能が人一倍発達しているのではないかと。いわば野性的な本能に近いところで周囲の気配や相手の気持ちを察知し、それが並外れた行動力を生み出すもとになっているのではないか、とね」
確かに、佐々井師の前で嘘はつけない。こちらがどれほど平静を演じてその場を取り繕う言辞を並べても、ギロッと睨んだ上で、鼻先で嗤われる。あれはやはり野性の勘なのか。もしかしたら、いわゆる神通力とは、案外そういうものなのかも知れない。ちなみに神通力のサンスクリット原語は『シッディ』。本来は成就・達成を意味する言葉だ。野性的な本能が研ぎ澄まされていかなければ達成はない、ということなのか。煩悩即菩提にあやかるなら、「本能即菩提」とでも云うべきか。

さて、すべての行事を終え私がナグプールを去る日の朝、やっと二人だけになれた時、私はこう話した。
    このあいだ、来日の際に収録したNHKラジオの番組を聞きました。二時間半のインタビューが30分に編集されてましたが、よくまとめられていたと思います。それを聞きながら思い出したのは、私がまだ高校生ぐらいの頃、NHK教育テレビで山本秀順先生がお話しされていたのを見たことです。戦時中、反戦運動で逮捕され、獄中で読んだ親鸞の語録『歎異抄』に心を動かされ、窓から差し込む冬の陽に照らされながら、無意識に「南無阿弥陀仏」と唱えた…というくだりを思い出したんです。ラジオとテレビで違いますが、何かの縁(えにし)を感じました。
〈※山本秀順師とは佐々井秀嶺師の師匠である。集英社新書『必生 闘う仏教』を参照のこと〉
佐々井師は目を細めて、
「そうか。…うん、ありがとう」
と言った。

【写真上】改宗記念祭の前夜祭たる国際仏教徒大会で挨拶する佐々井秀嶺師。
【中】ヒンドゥー教から仏教へ改宗する民衆一人一人の目を見つめる師。
【下】記念祭に参集したインド仏教徒。その想像を絶する人数に圧倒される。
【ツイッターまとめ】実況画像や動画もたくさんありますので是非ご覧ください。

http://togetter.com/li/1038493
【YouTube】改宗記念祭ハイライトムービー(約1分)
https://youtu.be/pgkxrOTztvo

反骨の仏陀

反骨の仏陀
※8月28日南天会交流会:高山龍智講演より抜粋
《原語の息吹に聴くブッダの反骨精神》
日本仏教はパーリ語、サンスクリット語原典からの漢訳の、そのまた日本的解釈です。インドは表音文字の文化、中国は表意文字、そして日本は表音(仮名)と表意(漢字)の混合文化ですね。文字と言語の有り様が三国では異なっているわけです。
『世の中は 東西南北あるものを 南が無いとは 釈迦も粗忽よ』
これは江戸時代の戯れ言で、異伝も多種あるようですが、その意味は、サンスクリット語で帰依・崇敬を意味するナモ、その当て字の南無を、漢文として読むことの頓珍漢を嗤った冗談なんですね。表音文字の国インドの言葉を、表意文字の文化で理解しようとする滑稽さ。言い換えるなら、江戸の町衆にはこれを笑えるだけの仏教知識があったということになるでしょうか。
各宗の御祖師様方…最澄・空海・法然・栄西・親鸞・道元・日蓮・一遍…は、当時の日本人として日本語で思考ながら、求道者の心眼を以て漢訳経巻の紙背に達し、遥か大天竺は霊鷲山の會座、祇園精舎の法莚に直参なされました。しかるに後世の教団は、ややもすれば世俗的な権威組織に傾斜し、ともすれば宗派根性に引きこもり、あるいは衒学趣味に囚われて、甚だしきは勤行の節回しに正統や邪流を語るが如き体たらく。それは、我宗(がしゅう)という我執(がしゅう)ではないでしょうか。
現代はネットを通じて欧米を始め英語圏における仏教研究の成果を即時に閲覧できる時代です。また、市販の仏教辞典の索引に紹介されているようなサンスクリット原語であれば、それと流れを同じくするヒンディー語はスマートフォンの翻訳アプリで対応でき、ローマ字入力によって、印←→英←→和の現代語訳が、掌の上で可能となりました。

◎ブッダが説いた無常は「詠嘆」ではない。
もともと古典的なヒンドゥー教で云われてきた「恒常」を意味するニティヤ。波羅門を敬い、供犠と献身を欠かさず、カーストごとに定められた職業に生涯を捧げれば、恒常的幸福が得られるという思想です。しかしそれは波羅門(ブラーミン。神官)・刹帝利(クシャトリア。武士)・吠舎(ヴァイシャ。町民)・首陀羅(シュードラ。農奴)の四姓のうち、上位三階級までのこと。首陀羅や、その下の旃陀羅(チャンダーラ。いわゆる不可触民。パリヤー、ダスユ等とも)は、ただ上位階級に隷属・奉仕するのみで、輪廻転生せず、虫けらのように「涌いてくる」ことが恒常、とされていました。
このニティヤに No!を突き付けたのが、ブッダです。それが、無常の教えですね。
無常の原語はアニティヤ。アは英語のUnに該当する否定冠詞で、これによって恒常の語は、一時的・変化する、といった正反対の意味に変わるのです。
ところが日本人は多くの場合「仏教の思想は無常」と最初に覚えさせられてしまうため、アニティヤの持つ反骨と革新性が理解されにくいんですねえ。有名な『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のような情緒的詠嘆として、初めから認識されてしまうわけです。だがそれは、例えて云うならば、ラッキーという言葉を知らずにアンラッキーの語だけを先に覚えるようなものであります。
恒常(ニティヤ)の論理が支配と差別に利用されることは、洋の東西や時代を問いません。かつてわが国は「神洲不滅」というニティヤを掲げて戦争を起こし、大陸の人々を支配、差別しました。また現代日本においても、「美しい国ニッポン」、あるいは純粋日本人といった恒常不変な存在があるかの如く盲信し、排他独善に浸り、なかには在日外国人に対して罵詈雑言を浴びせる者すらいる。恒常は、守旧を至上とし変化を拒む。まさしくそれ自体が権力の論理なのです。
常ならざるものを恒常と偽るがゆえに起こる人間の苦悩、煩悶、それらの集合体としての社会矛盾。ブッダは、暴力・略奪・獣欲・虚偽・逃避の上に成り立つ人間社会の現実を見抜いて五戒…不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒…を説き、その元凶たるニティヤに対し、大慈悲心に基く反骨の精神を示して、アニティヤを説かれたのだと思います。
最後に確認しておかねばならぬ重要な点があります。
パーリ語やサンスクリット語は、現代インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、ビームラーオ・アンベードカル博士、アーリア・ナーガールジュン佐々井秀嶺師、そしてインド仏教徒にとっては、翻訳を要さない「国語」であるということです。つまり、アニティヤ(無常)も、原語の息吹そのままに、ブッダの大慈悲心に基いた反骨と革新性をもって、じかに理解されるのです。

【写真】インド・ナグプール下町の仏教青年会事務室でアンベードカル博士の肖像を背に気合を充填している「反骨の菩薩」佐々井秀嶺師。

道 (DO)

道 (DO)
道 (DO)
道 (DO)
7月7日、七夕の空を、佐々井秀嶺師はインドへ帰って行った。老齢と病躯を圧して来日してくださった佐々井師は、今年も体力の続く限り各地を巡錫し、説法獅子吼。無碍の心光照護をもって、祖国日本の善男善女に不壊の仏種を残して行った。
佐々井秀嶺師の仏道。それは、あえて誤解を畏れずに云うなら、芸道でもある。なぜなら大乗仏教が「大乗」たる所以は、相手あってのもの、だからだ。
佐々井師にとって五十年来の母語であるヒンディーは、仏典のパーリやサンスクリット語と流れを同じくする言語であり、ゆえに師の仏教理解は、翻訳を通さない現地の息吹きをもって体得されたものである。一例を挙げるなら「律」と漢訳された Vinaya の原義は、柔和や謙虚の意味。相手のことを思いやるがゆえに身を慎むこと。つまり、いわゆる戒律といった言葉からイメージされる厳めしい雰囲気とは、だいぶ趣が異なるのである。成る程、精舎道場に籠って持戒瞑想に打ち込むのも立派な修行ではあろう。しかし、道を清らかならしめんとする者は、むしろ汚れて当たり前。掃除係の作業服は汚れてこそ、ではないのか。
「独覚が菩薩よりも一段低いのは、独り善がりで相手のことを考えてないからだよ」
と、佐々井師は教えてくれた。
独覚(どっかく)とは、縁覚とも記される二乗地のひとつで、声聞(しょうもん)の次、菩薩の手前の境地とされる。確かに、相手を気遣う必要がなければ、或いは俗世間の雑音が無ければ、それなりに心境が深まることもあるだろう。だがそれは果たして、趣味の世界とどれほどの違いがあるのか。
佐々井師は日本にいた若い頃、浪曲師でもあった。下町の高座で学んだのは、ひとの心を掴み、揺さぶり、抱きしめることの難しさ、そして、その素晴らしさ。云うまでもなく日本の民間芸能は、仏教の伝導活動から発生したものであり、名もなき庶民の心の襞に寄り添った〈市井の菩薩たち〉の、
「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」
…たとえ身が苦しみと毒の中に止まろうとも精進を続け、忍耐のうちに命が終わっても私は後悔しない (大無量寿経)…という芸人魂、芸道精神が生み出したものだ。
仏道も芸道も、相手がいなければ成立しない。そのことを佐々井師は、浪花節の世界から学び、そしてまた、インドの最下層民衆と泣き笑いを共にしながら、御身の血肉とされたのである。

私「このところ日本では道(みち)、ドウですね、仏道、武士道、華道、茶道や、芸道のドウ。この《みち》の精神が軽んじられているように思うんですよ」
師「道が無かったら歩けないじゃないか」
(東京四谷真成院にて『殺活自在の流儀』より)

【写真上】「道」を行くひと:ササイ・ジー。
【中】冗談を交えた師のヒンディー語挨拶に笑いが溢れる在日インド仏教徒たち。
【下】浅草木馬亭にて約60年ぶりに浪花節を堪能した佐々井秀嶺師。(感激していました)。向かって右は、超人気の女流浪曲師・玉川奈々福師匠。左は文筆家の門賀美央子さん。

帰教の菩薩

帰教の菩薩
帰教の菩薩
帰教の菩薩
去る6月5日、四谷の真成院(東京都新宿区若葉町2-7-8)様において、来日中のインド仏教最高指導者:佐々井秀嶺師を囲んでの交流会が開かれた。現在日本国内唯一の佐々井師公認支援団体「南天会」主催によるこの日の法莚は、師と長年の顔馴染みの皆様に加え、初めて御縁を結ばれる善男善女の方々、そして日本在住の現代インド仏教徒が一堂に会しての會座となった。
前半は佐々井師の説法。テーマは床の間に掛けられた「南無阿彌陀佛」の御軸にちなみ、親鸞の語録『歎異抄』第二条から。知識や学問で自我を作り上げることの迷蒙、「他人がどう言おうと自分には信じるほかに道はないのだから決して後悔しない」との親鸞の言葉を、まさに御身を以てインドの大地で貫いて来た佐々井秀嶺師。病により昨年の来日時とは見違えるほど頬が痩けたその慈顔には、なおも変わることなき龍の眼光が輝いていた。
終盤、拙にも登壇の御用命があり、短い挨拶のあと「ジャイ・ビーム!」三唱の音頭を取らせて頂いた…。
   仏教には『西天帰教 (さいてんききょう)』という言葉があります。西方の天竺で誕生し日本へと伝わった仏教を日本人の手でお釈迦様の国へ里帰りさせる、という意味です。その大偉業を成し遂げられたのが、この佐々井秀嶺師です。また『仏法東漸 (ぶっぽうとうぜん)』という言葉もあります。インドの仏教が中国・朝鮮半島を経て日本へ、つまり東へ東へ、という意味です。その東漸の歴史の掉尾を飾るのが、まさしく今日ここに来てくれたインド仏教徒たちです。いま、西天帰教と仏法東漸が交わりました。そしてまた佐々井師とインド仏教徒は、いわば〈正法血脉の親子〉でもあるのです。さて、ご覧の通り佐々井師、ずいぶん痩せてしまったので、皆さんのパワーをあげてください。さあ、いきますよ?ジャイ・ビーム!

《※告知》
来る7月3日(日)午後3時より真成院(上記住所)様にて、今回の佐々井師来日における最後の一般公開イベント『活殺自在の流儀』が催されます。前半は、真成院御本尊と佐々井秀嶺師の前で、試斬居合道「日本武徳院」師範:黒澤雄太氏が真剣を振るって実際に斬る奉納演武、後半は佐々井師と黒澤氏による公開対談が行われます。
歴史に名を残した戦国武将や剣豪で仏法に帰依した者は多い。いわば生死の巌頭に立っていた彼らは、ブッダの教えに何を求めたのか?その剣の切っ先に、彼らは何を見ていたのか?そして、価値混迷の現代に生きる我々は、彼らの生きざまから何を学ぶべきなのか?
折しも戦国ブーム、刀剣ブームの今、仏教に関心のある方はもちろん、武道に興味のある方や歴女、とうらぶファンも、是非ご参加ください! (要事前申込)

〔チケットのお申し込みはこちらから〕

https://tiget.net/events/4408

【写真上】下町でお祭りを見物する佐々井師。
【中】親鸞の歎異抄について語る。
【下】在日インド仏教徒と記念撮影。

慈愛生誕

慈愛生誕
慈愛生誕
慈愛生誕
去る4月17日、関東某所において在日インド仏教徒主催による
『第125回アンベードカル博士生誕祭』
(Babasaheb Dr. Ambedkar Jayanti 125th)
が開かれた。記念すべき節目の年ということで、今年の生誕祭にかけた彼らの熱意は並々ならぬものであり、幼年部の舞踊、合唱、高校生が製作した短編映画『カースト差別と仏教』の上映、大人達による寸劇、婦人部の聖歌奉唱にダンス・パフォーマンスなど、盛りだくさんな内容であった。すべてを漏らさずご紹介したいところだが、それは彼ら一人一人の「人生の宝」であり、何よりインド人独特の〈信仰にかける思い〉の熱さを現代日本人にそのまま伝えきることは、決して容易ではないだろう。
そこで、終盤に拙が語った法話の一部を以下に抄出し、会の概要報告に代えさせていただく(原語はヒンディー)。

  如来無上正等覚、並びに菩薩聖者アンベードカル博士に帰命し奉る。
皆さん。今年はアンベードカル博士の御降誕から百二十五年、そして仏教復興宣言から六十年という、まさに歴史的な慶賀の年であります。私達仏教徒が各自の人生においてその瞬間に立ち会えることは、この上ない喜びであることは云うまでもございません。
しかし一方で、悲しいことも起きました。今日は17日ですよね。そう、三ヶ月前の一月、南インドのハイデラバード大学の学生ロヒート・ヴェムラ君がカースト差別によって自殺に追い込まれたのも、17日でした。ロヒート君はその遺書に「ジャイ・ビーム」と書いたのです。つまり私達と同じ仏教徒、私達の家族同然でしょう。今日は彼の月命日です。

そして、皆さんも既にテレビなどでご承知の通り、この日本の熊本県で大きな地震が起こり、おおぜいの尊い命が失われました。関東在住の皆さんは五年前、東日本大震災も経験されたでしょう。どうか仏教徒として、国籍や出身地を越えて、私と一緒にお祈りしてください…。
〈ナモ・タッサ・バガワト・アラハト・サムマ・サムブッダッサ=南無世尊応供正等覚を一同唱和〉
さて、伝統的な仏教では三学、戒(シーラ)・定(サマーディ)・慧(プラジュニャー)を立てますが、アンベードカル博士はそれを充分理解した上で、あえて言葉の本義に立ち返り、慧(Knowledge。教育)・戒(Morality。倫理)、そして悲(カルナー。Compassion。愛情)の三つを掲げました。当然ですが、学ばなければ倫理観も身に付かず、相手の立場になって物を考えることも出来ません。すなわち仏教とは、社会性、公共性なのです。個人が趣味でパズル・ゲームのように嗜むのも自由ではありましょうが、それは本来の意味から言って、仏教ではないのです。
例えば戒。皆さんよくご存知の五戒(パンチャ・シーラ)。…なあ、奥さんを愛してれば優しくするだろ?浮気したり、酒に溺れたりして、奥さんを悲しませたりしないだろ?
〈一同、笑〉
だからね、戒というのは相手あってのものなんだよ。Shila is the Love. 日本語っぽく言うなら、カイはアイ、なんだ。分かるよね?
最後まで聞いてくれてありがとうございました。ジャイ・ビーム!

※YouTube ショートムービー
《第125回アンベードカル博士生誕祭》

https://youtu.be/Ci1jlk2vxwE

《ダンス 三帰依文の歌》

https://youtu.be/knYGP-343P4

《菩薩生誕を祝う舞い》

https://youtu.be/9MQ-0YzRB_c

【写真上】現代インド仏教式の祭壇
【中】華麗なフィニッシュを決める天竺少女隊
【下】紺地に白い法輪紋を染め抜いた仏教旗を
振るパフォーマンスを披露した婦人部の面々。

挑戦者たち

挑戦者たち
挑戦者たち
挑戦者たち
去る2月18日インド各地でここ数年では最大規模の学生運動が起きた。
直接の理由は遡る13日、首都ニューデリーの名門校ジャワハルラル・ネルー大学(J.N.U.)で学生自治会長を努める青年カンハイヤ・クマール氏が「反国家的扇動をした」として警察に身柄拘束されたことへの学友達の抗議。しかしインドは昨年来、急進的ナショナリズムを宣揚する現モディ政権に異を唱えた芸術家や文化人による国家賞返上運動、人気俳優アーミル・カーン氏の「Intolerance India」発言に対する保守派からの猛烈なバッシング、明けて今年1月17日、仏教徒の大学生ロヒート・ヴェムラ氏がカースト差別により自殺に追い込まれた件など、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒によるマイノリティ抑圧への怒りが、人々の心の底で燃えたぎっていたのだ。
これを日本の皆様に伝わりやすく云うなら、
「お釈迦さまの国インドでは今、仏教徒が〈非国民〉呼ばわりされている」
のである。
それでは実際、カンハイヤ青年は何を語ったのか。逮捕直前に彼がおこなったキャンパスでの演説を以下に翻訳・抄出しよう。
《source》

http://m.firstpost.com/india/full-text-and-video-of-jnusu-president-kanhaya-kumars-speech-nothing-seditious-here-2628934.html

私たちは、極右ヒンドゥー教団体から愛国心の証明書をもらいたいとは思いません。民族主義者からのお墨付きなど必要ありません。私たちはこの国に属し、土壌を愛しています。そして、インド人口の80パーセントにあたる貧困層のために闘います。これが私たちの愛国心です。私たちはアンベードカル博士の示した道を完全に信じています。私たちは博士の起草したインド国憲法を遵守します。アンベードカル博士はカースト差別を法的に禁じ、表現の自由について語り、私たちの基本的権利を保障してくれました。ところが現在は、ヒンドゥー教至上主義者が権力とメディアの助けを借りて、この大切な事実を希釈・矮小化している。これは国の恥です。
私たちは、国を愛するヒンドゥー教徒に問いたい。あなた方は、この国を血で染めたいのですか?かつてはインド独立のため英国に向けていた怒りの火を、今あなた方は国内のイスラム教徒に向けている。また、古めかしい神話と因習に基いて、女性たちへの差別を温存助長している。この国では学生、店員、労働者、農民、すべての人間が平等です。民主主義国家なのです。すべてが平等な権利を持っているのです。私たちが女性のエンパワーメントについて話すとき、あなた方は「インドの伝統文化を台無しにしている」と言いますが、私たちは搾取の文化、人種差別の文化、カースト文化を台無しにしたいのです。
私たちがビームラーオ・アンベードカルの名を口にする時、極右ヒンドゥー教至上主義者の胃は痛み始める。彼らは英国植民地支配の手先だった。つまりインドの裏切り者が、今度は愛国心のお墨付きを出そうと言うのです。…「母なるインドに万歳」だって?オレのオフクロは労働者だよ。
私が唱えるのは人間平等を説いた先人たちの名、そして「アンベードカル万歳」。私は労働者と少数部族、農民に敬礼し、全インドの母親や姉妹、女性たちに敬礼します。さあ、あなたが勇気を持っているなら、あなた自身が、今年のアンベードカル博士生誕125年記念を意味あるものにするのです。そして、博士が投げ掛けた〈問い〉に対する答えを、あなた自身が始めるのです。この国の問題は差別です。インドに差別がある限り、マス・メディアも信用できません。

アンベードカル博士が描いた理想の上にこの国は成り立ってるんですよ。先月自殺したロヒート・ヴェムラ君の思いを無駄にしてはいけない。私たちは、人類の平等に反対する者どもの正体を、すでに見切っている。私たちは本当の民主主義、本当の自由、みんなの国のあるべき姿とは何かを、証明したいと思っています。
カースト制度のもとでは被抑圧階級がヒンドゥー教の神殿に入ることは許されませんでした。或いは英国人がインドを支配していたとき、犬とインド人はレストランに入れませんでした。しかし当時はそれが「正義」だった。私たちの父祖はその「正義」に挑戦した。私たちは今、ヒンドゥー教至上主義に挑戦する。彼らの正義は私たちの正義ではない。私たちの正義は、アンベードカル博士が起草した憲法上に保障されている権利を、みんなが等しく取得することなのです。
そして、私たちネルー大学の学生自治会は、どのような場合においても暴力、テロ、また反国家的活動をサポートするものではありません。

《補記》カンハイヤ氏の身柄拘束は、彼とは別の過激派社会主義学生集団への見せしめ、あるいは誤認逮捕の可能性を指摘する声もある。

【写真上】仏教復興の父:アンベードカル博士と
インドの国章アショーカ王獅子像。
【中】逮捕連行されるカンハイヤ自治会長。
【下】アンベードカル博士の肖像画を胸に掲げて
抗議のデモ行進をする仏教徒学生ら。

「闘う」仏教徒

「闘う」仏教徒
「闘う」仏教徒
「闘う」仏教徒
2016年は、後世の仏教史に特筆される年となるだろう。
人間解放の父:アンベードカル博士の生誕125年にして、仏教復興宣言60年の記念すべき年なのである。これに先立つ昨年、わが国の高野山上にアンベードカル博士像が建立されたことは…些か政治的ゴタゴタがあったとはいえ…まさに仏祖の冥祐と云うべきであろう。
日本でアンベードカル博士の存在が一般向けに紹介される大きなきっかけとなったのは、故山際素男先生と佐々井秀嶺師の出会いだった。1981年、インド取材中の故先生は在印邦人から「もう15年も不可触民と暮らしている日本人僧侶がいる」と聞き、駆り立てられるようにして三角大陸のど真ん中、ナグプール市を訪ねた。そこで出会ったのは〈異相〉の日本僧:佐々井秀嶺師。「この人には何か〈憑いて〉いる」と直感した山際先生の問いに、ためらいながらも語り始めた佐々井師の言葉は、まさに空前絶後の物語であった。そして、師の心を鷲掴みにしインドの大地に繋ぎ止めたアンベードカル博士の仏教復興運動‥‥‥。すべては、このふたりの日本人の邂逅から始まった。
爾来、佐々井師渡印からおよそ半世紀を経て、ついに日印公式のアンベードカル博士像が建立されたのである。

しかし現代インド仏教徒の「闘い」は今もやむことがない。去る1月17日、インド南部のハイデラバード市において、被抑圧階級、いわゆる“不可触民”の大学生ロヒト・ベムラ氏(26才)が、カースト差別によって自殺に追い込まれた。彼の遺書にはこう記されていた。
「For one last time. Jai Bheem」(最期の時です、アンベードカル博士に勝利あれ)
…念のためヒンドゥー教義の原則では、被抑圧階級は輪廻転生できない。虫のように涌いて来る存在とされるからだ。それを踏まえた上で彼の記した「one」を読んでほしい…。
あまりにも悲しい死の衝撃はインド各地を揺るがせ、首都ニューデリーや商業都市ムンバイで学生らを中心に抗議運動が巻き起こった。
《YouTube》「ジャイ・ビームを叫ぶ学生たち」

https://youtu.be/FitScCzQWws

さて今日、各方面で云々される《寛容》=tolerance。いつぞや我が国でも「日本的寛容を世界へ」などと夜郎自大な高説を垂れた者もいたようだ。しかし寛容とは、多数派強者の自制をこそ云うのであって、少数派弱者に適応を強いることではない。いまインドでは、仏教徒やイスラム教徒、キリスト教徒など社会的マイノリティの主張に対し、圧倒的多数派のヒンドゥー教徒が「Intolerance (不寛容)」と批判している。和を乱すな、大勢がそう言っているのだから、と。ロヒト氏を自死へと追いやったのは、まさにこの「寛容」という名の順応強制であった。
どこか我が国の空気に通じているように思うのは私だけだろうか。

現在、日本在住のインド仏教徒は、約50世帯を越える。彼らは、生活者として日本社会の中で文化や言語の違いに悪戦苦闘しながら、ブッダとアンベードカル博士、そしてササイ・ジーの教えを心の支えに生きている。
仏教の故国インドでマイノリティだった彼らは、仏教国と思って移り住んだ日本が〈宗派国〉だったこと、そして日本でも相変わらず自分たちが少数派であることについて、どのように感じているのだろうか。
「一番よくわからないのは、なんでこんなに小さく分かれてるんでしょうか、シューハ。不思議ですね。ブッダの教えはとてもシンプルで、すごくハッキリしてるものだと思うんですよ、僕らは」

私が師父佐々井秀嶺から教えられ、固く命じられたことの第一は、
「インド仏教徒を敬え」だった。「日本の坊さんの中には一般の信者を〈在家さん〉などと呼んで僧侶より格下のように言う人もいるがな、それじゃヒンドゥー教のブラーマン(※注:波羅門。カースト最高位の世襲の聖職者)と変わらんじゃないか。ブッダはそれこそ在家出身だ。つまりな、ブッダからお預かりしてるのが、仏教徒なんだよ」

2016年を後世の仏教史に特筆される年に出来るかどうか、それは今後の日本仏教の存続に関わることでもあるだろう。

【写真上】高野山大学に建てられた日本初のアンベードカル博士像。
【中】ナグプールの仏教青年団事務所で気合いを込める佐々井秀嶺師。
【下】ロヒト氏の自死で蜂起した現代インド仏教徒の学生たちとアンベードカル博士像。

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