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『反骨のブッダ』

  • 高山龍智: 『反骨のブッダ』インドによみがえる本来の仏教(コスモトゥーワン出版)

仏教・宗教全般

阿育王伝説

阿育王伝説
阿育王伝説
阿育王伝説
去る10月14日、関東某所にて在日インド仏教徒の団体「B.A.I.A.E.」(アンベードカル博士国際教育協会)による『転法輪祭 (DHAMMA CHAKRA PRAVARTIN)』が開催された。
例年の行事ながら、今年は初夏にNHKの取材を受けたこともあり…その模様の一部は10月22日(日)Eテレ『こころの時代』05:00~06:00にて放送予定…彼らにとってとりわけ喜びに溢れた祭典となった。
云うまでもなく彼らは祖国インドにおいてはDalit=被抑圧階級であり、インドのTVで取り上げられる時は、殆どの場合、社会問題を扱う類いの番組に於いて、意味保留のカギッカッコ付きで紹介される。そういう彼らを、まったく同じ人間として真摯に取材してくださったNHKには、心からの感謝を申し上げたいと思う。
さて、転法輪祭の終盤、登壇した私は彼らにこう語った。(原語はヒンディー)

    如来等正覚、ならびに菩薩聖者アンベードカル博士に帰依し奉る。
善女人善男子の皆さん。本日10月14日は私たちにとって、現代インド仏教復活の記念日であり、それはまた、かつてインドを仏教国たらしめたアショーカ王が「法による統治」を宣言した日であると云われています。しかし、これは私たち仏教徒のためだけの記念日ではありません。全世界、全人類のための自由と平和の記念日であります。
今から2400年ほど前、ひとりの大王がいました。彼はその冷酷さと残虐性によって、世の人々からこのように渾名されていました。カーラ・アショーカ(暗黒の阿育)。
こんな伝説があります。
凄惨を極めたカリンガ国殲滅戦に勝利し、老人や女子供まで虐殺したアショーカ王は、血刀を手に馬上から、大満足の顔で、いくさのあとを眺めていました。
「朕は勝った。全インドは我が物となった」
そこへ、ひとりの比丘がやって来て言いました。
「大王よ、お願いがございます。望みを叶えていただけるでしょうか?」
「苦しゅうない。朕は今や〈王中の王〉となった。何なりと叶えて遣わす。申せ」
比丘は袈裟の下から赤ん坊の死体を取り出して見せました。
「大王よ、この赤子は軍馬の蹄にかけられて亡くなりました。大王の軍です。せめてこの子の命だけ返してくださいませ」
「何と?!痴れたか、比丘よ。そのようなこと出来るわけがない、朕を愚弄するとあればその首、この場で叩き斬るぞ!」
「大王よ、貴方はこれほどたくさんの命を奪うことが出来た。なのに、この小さな命たった一つさえも返してくださらないのですか?それが、貴方が手に入れた〈王中の王〉のちからなのですか?」
この出来事をきっかけに、アショーカ王は武力統治の方針を改め、法による統治を宣言したとも云われています。カーラ・アショーカ(暗黒の阿育)が、ダルマ・アショーカ(白法の阿育)に変わったんですね。暗黒か、白法か。戦争か、叡智か。
善女人善男子の皆さん、考えてみてください。
現在の世界を御覧ください。北朝鮮、トランプのアメリカ、あれは暗黒の王国でしょう。あるいはミャンマーの仏教徒がロヒンギャ族を虐殺している。あれは断じて白法ではない。
暴力は、何ひとつ生み出さないんです。

《※お知らせ》
NHK Eテレ『こころの時代』「インドの大地に再び仏教を」出演:佐々井秀嶺ほか。本放送 10月22日(日)朝5時~6時、再放送10月28日(土)昼1時~2時

http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-10-22/31/21932/2008286/

【写真上と下】転法輪祭の模様
【中】今年7月来日時の佐々井秀嶺師と

仏に参らせ、芸の花

仏に参らせ、芸の花
仏に参らせ、芸の花
仏に参らせ、芸の花
「最晩年を迎えた師匠を、その原点、出発点に戻してやりたいんですよ」
昨年12月のある日のこと。私は、大人気の女流浪曲師:玉川奈々福さんに突拍子もない御相談を持ち掛けた。師父佐々井秀嶺の来日予定もまったく白紙状態で、いわんや高齢の師ゆえ如何なる不測の事態が起きるかも知れぬまま、売れっ子芸人さんにスケジュールを都合してもらうことがどれほど無茶な申し出であるかは、重々承知の上だった。
  ことの始まりは、遡ること三年前の2014年初夏、佐々井師はインドで危篤状態に陥った。原因は不明。だが、十方諸仏の御加護と最先端医療の甲斐もあり、奇跡的に生還。退院した直後に見舞った私は、そのやつれ果てた姿に言葉を失った。そのとき師父はこう言った。
「マール・ギヤー、ワーパス・アーヤー」
ヒンディー語で、殺されたが戻って来たぞ、の意。こんな状態でも《韻を踏んだ啖呵》を切る師父を見て「ああ、このひとは根っからの舞台人、浪曲師なんだな」と感じた。そしてその頃から、いつかもう一度浪花節の舞台に立たせてやりたい、と秘かに思うようになった。
  佐々井秀嶺師(本名:佐々井実)は昭和30年代、大正大学で仏教を学ぶ傍ら、東屋楽水あるいは大菩薩連嶺の芸名で浪曲師としても活動していた。みずから「仏法浪曲第一世」と称し、『佛道と藝道』の合一をまさに実践していた。その後、修行のためインドへ渡り、爾来かの国で虐げられた最下層民衆と同じ地面に腰を据え、共に泣き、共に笑い、満身創痍になりながら、今日まで生きて来た。
しかしその佐々井師も今や高齢、ましてや危篤をくぐり抜けた体。出来ることなら、もう一度出発点に戻してやりたい…。
とはいえ私自身は、仏門に入るまで洋楽畑にいた人間で、浪曲の世界にはまったく縁がない。あくまで夢の話と胸にしまい、なかば忘れかけていた。ところが昨年六月末、たまたま知人の文筆家が玉川奈々福さんと親しいと聞き、にわかに気持ちが昂った。これこそ仏教で云う「無縁大悲」と、えにしを結んでいただいてから一気に事は急展開、奈々福さんより御招待をいただき、浅草木馬亭へと佐々井師をお連れして、約60年ぶりの浪曲舞台を堪能してもらった。
客席に身をあずけ、涙を浮かべながら奈々福さんの芸に見入る師父の横顔に、私は、無謀にも二人のコラボレーション企画を思い描くようになった。あえて云うまでもないが、佐々井秀嶺師はインド仏教復興運動の指導者、民衆のカリスマである。かたや玉川奈々福さんは今や日本の各方面からもっとも注目されている人気者。この両者を同じ日に同じ舞台に上げる、などとは、よほど夢想癖の持ち主でなければ考えつかないだろう。しかし私の強み(?)は、その夢想家だったこと。…こうして、冒頭の言葉に繋がるのである。

  奈々福さんは、ただ黙って頷いてくださった。
そして遂に、平成29年7月1日土曜、東京新宿は角筈区民ホールに於いて『佛道と藝道』は実現した。あの舞台は《浪曲師:玉川奈々福》の気っ風と人情あったればこその奇跡であった。
また、佐々井師もたびたび奈々福さんのお声を誉めていたが、まさしくそれは観音経偈が説くところの「妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音」であったろう。

当日、開会の挨拶において、私は参加者の皆様へこのように申し上げた。
「佛道も藝道も、これ一番大事なとこなんです、仏教も芸能もですよ、相手あってのものなんです。独り善がりじゃなんにもならない。相手あってのもの、人と人とをつなぐものが、佛道と藝道でございます」

【写真上・中・下】打ち合わせ中の佐々井師と奈々福さんと私
(田島利枝さん撮影)

佛道と藝道

佛道と藝道
佛道と藝道
7月1日(土)、インドと日本を結ぶ義理人情浪花節の心、史上空前のコラボが遂に実現!
於:角筈区民ホール3階 (新宿区西新宿4丁目)
18;30開場  19;00開演
※参加受付・お問い合わせは以下のサイトにて。尚、お席に限りがございますので申し込みは何とぞお早めに!

https://tiget.net/events/11544

佐々井秀嶺。
今から五十年以上前、浪曲を愛したひとりの青年僧が日本を飛び出した。その人の名は、佐々井秀嶺(1935年生まれ)…。みずからを「世紀の苦悩児」と呼ぶ彼の生きざまは、まさに破天荒。恋に苦しみ人生に悩み、自殺未遂三回、放浪の果てに転がり込んだ寺に拾われ、やがて僧侶の道を志す。1965年、師匠山本秀順の薦めでタイへ留学、二年間の修行を経て仏教の故国インドへ渡り、かの国でヒンドゥー教による差別に苦しむ民衆、いわゆる「不可触民」と出会う。1987年インド国籍取得。2009年に帰国するまでただの一度も日本の土を踏まず、インド最下層民衆の解放と仏教改宗運動に身を捧げて、現在に至る。そんな彼を今も支えているのは、日本庶民の心・浪花節。自身も青年時代に東屋流浪曲を学んだ佐々井は、2016年来日の際、東京浅草の木馬亭にて「浪曲界のシンデレラ」こと玉川奈々福と邂逅。

玉川奈々福。
浪曲師・曲師(浪曲三味線奏者)
1994(平成6)年10月、日本浪曲協会主宰三味線教室に参加。1995(平成7)年7月7日玉川福太郎に入門。師の勧めにより2001(平成13)年より浪曲師としても活動。2004(平成16)年「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」全5回、2005(平成17)年「玉川福太郎の浪曲英雄列伝」全5回プロデュース。2006(平成18)年本橋成一監督作品『ナミイと唄えば』出演。同年12月、芸名を美穂子から奈々福に改め名披露目。さまざまな浪曲イベントをプロデュースする他、自作の新作浪曲も手掛け、他ジャンルの芸能・音楽との交流も多岐にわたって行う。今年は日本伝統の話芸を様々な角度から掘り下げる『語り芸パースペクティブ』という事業を開催中。
blog → http://tamamiho55.seesaa.net/s/
Twitter → @nanafuku55

今回、この両者による奇跡のコラボレーションが遂に実現!会の前半は玉川奈々福の浪花節をじっくり(曲師:沢村豊子)、そして後半は佐々井秀嶺との浪曲談義『佛道と藝道』。さてさて、どんな話が飛び出すか、乞う御期待!
現代インドと平成日本、千里の波涛を越えて響き合う浪花節のこころ。かたい話は抜きにして、楽しい集いにしたいと考えています。この機会を是非ともお見逃しなく!
《敬称略》

仏心涌出

仏心涌出
仏心涌出
仏心涌出
先日、在日インド仏教徒の家で法要を勤めた。
日本暮らしも二十年近いその夫婦は、かつて私がまだパーリ語のお勤めも心許なかった頃から、あれこれと面倒をみてくれた篤信者だ。旦那は子供時代、若き日の佐々井秀嶺師が法華の団扇太鼓を叩いて行脚している後ろを、面白がってくっついて歩いたインド下町の悪戯っ子。奥さんは佐々井師からその信心深さを認められ、ルンビニー(藍毘尼園)という法名を授かった「観音様」のような女性だ。
今回、その奥さんから電話で依頼を受けた時も、ところで誰の法事なんだね?と訊くと、
「プージャ(法事)はいつだってバグワーン・ブッダ(世尊仏陀)のためですよ」
と注意された。

さて、家に着いてみると『B.A.I.A.E.Japan』(アンベードカル博士国際教育協会日本支部)の面々が大勢集まっていた。あえて云うまでもないが、佐々井師に出会うまではヒンドゥー教社会で徹底的に差別されたいわゆる元「不可触民」の仏教徒たち。おいおい、一体どうしたっていうんだい?
「決まってるじゃないですか。バンテー・ジー(お坊さん。この場合は私のこと)がインドの新聞に載ったセレブレーションですよ」
驚いた。昨年十月、大手『LOKMAT』紙のマラーティ語版に私へのインタビューが写真入りで掲載されたことの祝いだ、という。記事には、日本にも現代インド仏教徒が50世帯以上住んでいること、徐々にではあるがアンベードカル博士に対する認知度も上がって来ていることなどが書かれていた。ちなみに、祝いが半年後になった理由は、昨年末に全世界で報道されたインドの高額紙幣切り替え騒動。
「ササイ・ジー(佐々井師)を日本へ連れてきてくれたり、私達のことをインドで紹介してくれたり、本当にありがたく思ってるんですよ」
うっかり涙が出そうになった。この人たちは、やはり「地涌の菩薩」(法華経)だったのだ。
そして私は、ここに到るまでの縁(えにし)に思いを馳せ、胸が詰まった。

私の母方には明治末期、解放運動に取り組んだ小寺の住職がいたそうだ。境内墓地にあった「新平民」の墓を他と隔てる垣根を撤去して檀家衆と対立、折悪しく失火により本堂が全焼。しかし再建費の喜捨には垣根の再築を条件とする総代と相容れず、そのため彼は妻子を残して勧進のため托鉢の旅に出た。
生来の直情漢だった彼は托鉢先でも勧進の趣旨を熱心に説いたが、なにぶん「穢僧 (被差別階級と関わる僧侶)」といった言葉がまだ活きていた時代のこと、大概どこでも門前払いを受けたそうだ。そして結果を出せぬまま何十年か経ち、あるとき子供が東京で暮らしていると聞いた彼は、ただ会いたい一心から捜し出して訪ねたが、子にしてみれば自分と母を残して出奔し、寺と家族を破壊した身勝手な父親。積年の怨嗟と共に追い払われた。
やがて年老いた彼は、ある時、小さな田舎町の安宿で大好物の「蕎麦がき」をかきながら、意識を失った。発見された時は蕎麦がきの丼に顔を突っ込んだ状態であり、直接の死因は窒息死のようだった。…以上は、全て亡母から聞かされた話で、客観性は無いに等しい。
だが、子供の私が恐る恐る想像した「安宿の破れ障子から射し込む仄明かりを背に、丼に顔を突っ込んで動かなくなっているお坊さん」の絵姿は、今も克明に焼き付いている。
それが、私の仏教の原点であると云えようか。

ジャイ・ビーム!

【写真上】在日インド仏教徒家庭の仏壇
【中】新聞『LOKMAT』の記事
【下】日本で暮らすインド仏教徒と私。

浪花節菩薩道

浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
浪曲菩薩道
「衆生 笑むがゆえに 我 笑む」
師父佐々井秀嶺とは、そういう男である。
云うまでもなく上記の言葉は『維摩経』の「衆生病むがゆえに我病む」を私が勝手に捩ったものだが、抜苦与楽、自利利他円満が大乗仏教ならば、結局同じことであろう。
インド最下層民衆と佐々井師のあいだで半世紀以上繰り返されてきたのは、まさにこの、泣き笑いを共にする菩薩道だった。太古の昔から続くカースト差別の無間地獄を、現世の極楽浄土に作り変えてしまおう、という途方もない「闘い」の道。それは、仏国荘厳(ぶっこくしょうごん)の大白道にほかならなかった。
そのササイ・ジーの原点となっているのは、浪花節。名も無き庶民の、心の襞に寄り添う大衆芸能の精神。いま目の前にいる人の心を抱き止められずして衆生済度など出来ようはずもない、という仏道の根本精神を、佐々井実(みのる)青年は、昭和三十年代の東京浅草で、浪花節の芸道を通じて学んだのである。
さて、今年初夏の来日時、女流浪曲師:玉川奈々福師匠から御招待を頂き、およそ六十年ぶりに佐々井師を浪曲の舞台へお連れすることができた。浅草木馬亭の客席に小柄な体を沈め、息を詰めて奈々福師匠の芸に見入るその横顔。目元には銀の光。…泣いていた。
その後、出番を終えた奈々福師匠が衣装のまま木馬亭の入口までお出くださり、丁寧な御挨拶を頂いた。
「感激したよお、涙と鼻水が出ちゃった」
と佐々井師。

そして十月、私はインド・ナグプールで開催される『第60回アンベードカル博士改宗記念祭』参加のため渡印する際、奈々福師匠から佐々井師への贈り物を預かった。「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E4%B8%AD%E8%BB%92%E9%9B%B2%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80 の貴重な音源。
佐々井師は記念行事前の多忙を極める中、夜毎それに聞き入っていたらしく、そうとは知らぬ私が或る朝、
「奈々福さんが焼いてくれた雲右衛門のCD、いつか時間のある時にでも聞いてください。せっかく預かって来たんだから」
と言うと、
「もう聞いてるんだよ!大事なものなんだ!」
…なぜか怒られた。

私の帰国が近付いた頃、「貰いっぱなしじゃ申し訳ないから」と佐々井師から奈々福師匠への返礼として、インドの仏像を託された。大きなものではないが、金属製でズシリと重い。
「よろしく言っといてくれ。それと、お渡しする前におまえがちゃんとパーリ語で開眼供養のお勤めをするんだぞ」
それは、あたかも青年のように清々しく端正な顔立ちの、釈迦牟仁であった。

【写真上】佐々井から託された仏像。
【中】ナグプールのササイ・ジー。
【下】日本式本堂でインド式に開眼供養を勤めた私と、人気の女流浪曲師:玉川奈々福師匠。

YouTube『奈々福の浪花節更紗』 https://youtu.be/5ccDvvHHOqc

本能即菩提

仏教徒誕生
仏教徒誕生
仏教徒誕生
去る10月9~11日、インド三角大陸の中央:南天龍宮城ナグプール市において、仏教復興の大先達にして現行憲法起草者アンベードカル博士の第60回『改宗記念祭』が開催された。
その歴史的大行事の導師は、云うまでもなく元日本人:佐々井秀嶺師。御歳八十一(インドは数え年なので82)の老躯は今や満身創痍、しかも二年前に危篤状態から奇跡的に復帰したお体である。
「復帰じゃないよ。本当に、死んで帰ってきたんだ」
とは御本人の弁。佐々井師流に言うならば《蛇の脱皮》といったところか。今回私は、改めて師の「超人ぶり」をまざまざと至近距離で見ることとなった。
早朝に寺を出て改宗式会場へと移動し、文字通り朝から晩まで、ぶっ通しで式の導師を勤められた佐々井秀嶺師。年齢と健康状態を考えれば、常人では絶対に不可能なこと。しかもそれを終始笑顔で、そして朗々たる大音声で、やってのけるのである。
(恥ずかしながら私は、最終日の改宗式が終了したとき立ち上がろうとして暑気当りと空腹と貧血で平衡感覚を失い、膝から崩れて倒れそうになってしまった)
数年前佐々井師を直接診た日本の高名な医学博士は、あくまで仮にですが、と断った上で以下のように述べられた。
「この方はおそらく、間脳の機能が人一倍発達しているのではないかと。いわば野性的な本能に近いところで周囲の気配や相手の気持ちを察知し、それが並外れた行動力を生み出すもとになっているのではないか、とね」
確かに、佐々井師の前で嘘はつけない。こちらがどれほど平静を演じてその場を取り繕う言辞を並べても、ギロッと睨んだ上で、鼻先で嗤われる。あれはやはり野性の勘なのか。もしかしたら、いわゆる神通力とは、案外そういうものなのかも知れない。ちなみに神通力のサンスクリット原語は『シッディ』。本来は成就・達成を意味する言葉だ。野性的な本能が研ぎ澄まされていかなければ達成はない、ということなのか。煩悩即菩提にあやかるなら、「本能即菩提」とでも云うべきか。

さて、すべての行事を終え私がナグプールを去る日の朝、やっと二人だけになれた時、私はこう話した。
    このあいだ、来日の際に収録したNHKラジオの番組を聞きました。二時間半のインタビューが30分に編集されてましたが、よくまとめられていたと思います。それを聞きながら思い出したのは、私がまだ高校生ぐらいの頃、NHK教育テレビで山本秀順先生がお話しされていたのを見たことです。戦時中、反戦運動で逮捕され、獄中で読んだ親鸞の語録『歎異抄』に心を動かされ、窓から差し込む冬の陽に照らされながら、無意識に「南無阿弥陀仏」と唱えた…というくだりを思い出したんです。ラジオとテレビで違いますが、何かの縁(えにし)を感じました。
〈※山本秀順師とは佐々井秀嶺師の師匠である。集英社新書『必生 闘う仏教』を参照のこと〉
佐々井師は目を細めて、
「そうか。…うん、ありがとう」
と言った。

【写真上】改宗記念祭の前夜祭たる国際仏教徒大会で挨拶する佐々井秀嶺師。
【中】ヒンドゥー教から仏教へ改宗する民衆一人一人の目を見つめる師。
【下】記念祭に参集したインド仏教徒。その想像を絶する人数に圧倒される。
【ツイッターまとめ】実況画像や動画もたくさんありますので是非ご覧ください。

http://togetter.com/li/1038493
【YouTube】改宗記念祭ハイライトムービー(約1分)
https://youtu.be/pgkxrOTztvo

反骨の仏陀

反骨の仏陀
※8月28日南天会交流会:高山龍智講演より抜粋
《原語の息吹に聴くブッダの反骨精神》
日本仏教はパーリ語、サンスクリット語原典からの漢訳の、そのまた日本的解釈です。インドは表音文字の文化、中国は表意文字、そして日本は表音(仮名)と表意(漢字)の混合文化ですね。文字と言語の有り様が三国では異なっているわけです。
『世の中は 東西南北あるものを 南が無いとは 釈迦も粗忽よ』
これは江戸時代の戯れ言で、異伝も多種あるようですが、その意味は、サンスクリット語で帰依・崇敬を意味するナモ、その当て字の南無を、漢文として読むことの頓珍漢を嗤った冗談なんですね。表音文字の国インドの言葉を、表意文字の文化で理解しようとする滑稽さ。言い換えるなら、江戸の町衆にはこれを笑えるだけの仏教知識があったということになるでしょうか。
各宗の御祖師様方…最澄・空海・法然・栄西・親鸞・道元・日蓮・一遍…は、当時の日本人として日本語で思考ながら、求道者の心眼を以て漢訳経巻の紙背に達し、遥か大天竺は霊鷲山の會座、祇園精舎の法莚に直参なされました。しかるに後世の教団は、ややもすれば世俗的な権威組織に傾斜し、ともすれば宗派根性に引きこもり、あるいは衒学趣味に囚われて、甚だしきは勤行の節回しに正統や邪流を語るが如き体たらく。それは、我宗(がしゅう)という我執(がしゅう)ではないでしょうか。
現代はネットを通じて欧米を始め英語圏における仏教研究の成果を即時に閲覧できる時代です。また、市販の仏教辞典の索引に紹介されているようなサンスクリット原語であれば、それと流れを同じくするヒンディー語はスマートフォンの翻訳アプリで対応でき、ローマ字入力によって、印←→英←→和の現代語訳が、掌の上で可能となりました。

◎ブッダが説いた無常は「詠嘆」ではない。
もともと古典的なヒンドゥー教で云われてきた「恒常」を意味するニティヤ。波羅門を敬い、供犠と献身を欠かさず、カーストごとに定められた職業に生涯を捧げれば、恒常的幸福が得られるという思想です。しかしそれは波羅門(ブラーミン。神官)・刹帝利(クシャトリア。武士)・吠舎(ヴァイシャ。町民)・首陀羅(シュードラ。農奴)の四姓のうち、上位三階級までのこと。首陀羅や、その下の旃陀羅(チャンダーラ。いわゆる不可触民。パリヤー、ダスユ等とも)は、ただ上位階級に隷属・奉仕するのみで、輪廻転生せず、虫けらのように「涌いてくる」ことが恒常、とされていました。
このニティヤに No!を突き付けたのが、ブッダです。それが、無常の教えですね。
無常の原語はアニティヤ。アは英語のUnに該当する否定冠詞で、これによって恒常の語は、一時的・変化する、といった正反対の意味に変わるのです。
ところが日本人は多くの場合「仏教の思想は無常」と最初に覚えさせられてしまうため、アニティヤの持つ反骨と革新性が理解されにくいんですねえ。有名な『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のような情緒的詠嘆として、初めから認識されてしまうわけです。だがそれは、例えて云うならば、ラッキーという言葉を知らずにアンラッキーの語だけを先に覚えるようなものであります。
恒常(ニティヤ)の論理が支配と差別に利用されることは、洋の東西や時代を問いません。かつてわが国は「神洲不滅」というニティヤを掲げて戦争を起こし、大陸の人々を支配、差別しました。また現代日本においても、「美しい国ニッポン」、あるいは純粋日本人といった恒常不変な存在があるかの如く盲信し、排他独善に浸り、なかには在日外国人に対して罵詈雑言を浴びせる者すらいる。恒常は、守旧を至上とし変化を拒む。まさしくそれ自体が権力の論理なのです。
常ならざるものを恒常と偽るがゆえに起こる人間の苦悩、煩悶、それらの集合体としての社会矛盾。ブッダは、暴力・略奪・獣欲・虚偽・逃避の上に成り立つ人間社会の現実を見抜いて五戒…不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒…を説き、その元凶たるニティヤに対し、大慈悲心に基く反骨の精神を示して、アニティヤを説かれたのだと思います。
最後に確認しておかねばならぬ重要な点があります。
パーリ語やサンスクリット語は、現代インドの公用語たるヒンディー語と流れを同じくする言語であり、ビームラーオ・アンベードカル博士、アーリア・ナーガールジュン佐々井秀嶺師、そしてインド仏教徒にとっては、翻訳を要さない「国語」であるということです。つまり、アニティヤ(無常)も、原語の息吹そのままに、ブッダの大慈悲心に基いた反骨と革新性をもって、じかに理解されるのです。

【写真】インド・ナグプール下町の仏教青年会事務室でアンベードカル博士の肖像を背に気合を充填している「反骨の菩薩」佐々井秀嶺師。

道 (DO)

道 (DO)
道 (DO)
道 (DO)
7月7日、七夕の空を、佐々井秀嶺師はインドへ帰って行った。老齢と病躯を圧して来日してくださった佐々井師は、今年も体力の続く限り各地を巡錫し、説法獅子吼。無碍の心光照護をもって、祖国日本の善男善女に不壊の仏種を残して行った。
佐々井秀嶺師の仏道。それは、あえて誤解を畏れずに云うなら、芸道でもある。なぜなら大乗仏教が「大乗」たる所以は、相手あってのもの、だからだ。
佐々井師にとって五十年来の母語であるヒンディーは、仏典のパーリやサンスクリット語と流れを同じくする言語であり、ゆえに師の仏教理解は、翻訳を通さない現地の息吹きをもって体得されたものである。一例を挙げるなら「律」と漢訳された Vinaya の原義は、柔和や謙虚の意味。相手のことを思いやるがゆえに身を慎むこと。つまり、いわゆる戒律といった言葉からイメージされる厳めしい雰囲気とは、だいぶ趣が異なるのである。成る程、精舎道場に籠って持戒瞑想に打ち込むのも立派な修行ではあろう。しかし、道を清らかならしめんとする者は、むしろ汚れて当たり前。掃除係の作業服は汚れてこそ、ではないのか。
「独覚が菩薩よりも一段低いのは、独り善がりで相手のことを考えてないからだよ」
と、佐々井師は教えてくれた。
独覚(どっかく)とは、縁覚とも記される二乗地のひとつで、声聞(しょうもん)の次、菩薩の手前の境地とされる。確かに、相手を気遣う必要がなければ、或いは俗世間の雑音が無ければ、それなりに心境が深まることもあるだろう。だがそれは果たして、趣味の世界とどれほどの違いがあるのか。
佐々井師は日本にいた若い頃、浪曲師でもあった。下町の高座で学んだのは、ひとの心を掴み、揺さぶり、抱きしめることの難しさ、そして、その素晴らしさ。云うまでもなく日本の民間芸能は、仏教の伝導活動から発生したものであり、名もなき庶民の心の襞に寄り添った〈市井の菩薩たち〉の、
「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」
…たとえ身が苦しみと毒の中に止まろうとも精進を続け、忍耐のうちに命が終わっても私は後悔しない (大無量寿経)…という芸人魂、芸道精神が生み出したものだ。
仏道も芸道も、相手がいなければ成立しない。そのことを佐々井師は、浪花節の世界から学び、そしてまた、インドの最下層民衆と泣き笑いを共にしながら、御身の血肉とされたのである。

私「このところ日本では道(みち)、ドウですね、仏道、武士道、華道、茶道や、芸道のドウ。この《みち》の精神が軽んじられているように思うんですよ」
師「道が無かったら歩けないじゃないか」
(東京四谷真成院にて『殺活自在の流儀』より)

【写真上】「道」を行くひと:ササイ・ジー。
【中】冗談を交えた師のヒンディー語挨拶に笑いが溢れる在日インド仏教徒たち。
【下】浅草木馬亭にて約60年ぶりに浪花節を堪能した佐々井秀嶺師。(感激していました)。向かって右は、超人気の女流浪曲師・玉川奈々福師匠。左は文筆家の門賀美央子さん。

帰教の菩薩

帰教の菩薩
帰教の菩薩
帰教の菩薩
去る6月5日、四谷の真成院(東京都新宿区若葉町2-7-8)様において、来日中のインド仏教最高指導者:佐々井秀嶺師を囲んでの交流会が開かれた。現在日本国内唯一の佐々井師公認支援団体「南天会」主催によるこの日の法莚は、師と長年の顔馴染みの皆様に加え、初めて御縁を結ばれる善男善女の方々、そして日本在住の現代インド仏教徒が一堂に会しての會座となった。
前半は佐々井師の説法。テーマは床の間に掛けられた「南無阿彌陀佛」の御軸にちなみ、親鸞の語録『歎異抄』第二条から。知識や学問で自我を作り上げることの迷蒙、「他人がどう言おうと自分には信じるほかに道はないのだから決して後悔しない」との親鸞の言葉を、まさに御身を以てインドの大地で貫いて来た佐々井秀嶺師。病により昨年の来日時とは見違えるほど頬が痩けたその慈顔には、なおも変わることなき龍の眼光が輝いていた。
終盤、拙にも登壇の御用命があり、短い挨拶のあと「ジャイ・ビーム!」三唱の音頭を取らせて頂いた…。
   仏教には『西天帰教 (さいてんききょう)』という言葉があります。西方の天竺で誕生し日本へと伝わった仏教を日本人の手でお釈迦様の国へ里帰りさせる、という意味です。その大偉業を成し遂げられたのが、この佐々井秀嶺師です。また『仏法東漸 (ぶっぽうとうぜん)』という言葉もあります。インドの仏教が中国・朝鮮半島を経て日本へ、つまり東へ東へ、という意味です。その東漸の歴史の掉尾を飾るのが、まさしく今日ここに来てくれたインド仏教徒たちです。いま、西天帰教と仏法東漸が交わりました。そしてまた佐々井師とインド仏教徒は、いわば〈正法血脉の親子〉でもあるのです。さて、ご覧の通り佐々井師、ずいぶん痩せてしまったので、皆さんのパワーをあげてください。さあ、いきますよ?ジャイ・ビーム!

《※告知》
来る7月3日(日)午後3時より真成院(上記住所)様にて、今回の佐々井師来日における最後の一般公開イベント『活殺自在の流儀』が催されます。前半は、真成院御本尊と佐々井秀嶺師の前で、試斬居合道「日本武徳院」師範:黒澤雄太氏が真剣を振るって実際に斬る奉納演武、後半は佐々井師と黒澤氏による公開対談が行われます。
歴史に名を残した戦国武将や剣豪で仏法に帰依した者は多い。いわば生死の巌頭に立っていた彼らは、ブッダの教えに何を求めたのか?その剣の切っ先に、彼らは何を見ていたのか?そして、価値混迷の現代に生きる我々は、彼らの生きざまから何を学ぶべきなのか?
折しも戦国ブーム、刀剣ブームの今、仏教に関心のある方はもちろん、武道に興味のある方や歴女、とうらぶファンも、是非ご参加ください! (要事前申込)

〔チケットのお申し込みはこちらから〕

https://tiget.net/events/4408

【写真上】下町でお祭りを見物する佐々井師。
【中】親鸞の歎異抄について語る。
【下】在日インド仏教徒と記念撮影。

慈愛生誕

慈愛生誕
慈愛生誕
慈愛生誕
去る4月17日、関東某所において在日インド仏教徒主催による
『第125回アンベードカル博士生誕祭』
(Babasaheb Dr. Ambedkar Jayanti 125th)
が開かれた。記念すべき節目の年ということで、今年の生誕祭にかけた彼らの熱意は並々ならぬものであり、幼年部の舞踊、合唱、高校生が製作した短編映画『カースト差別と仏教』の上映、大人達による寸劇、婦人部の聖歌奉唱にダンス・パフォーマンスなど、盛りだくさんな内容であった。すべてを漏らさずご紹介したいところだが、それは彼ら一人一人の「人生の宝」であり、何よりインド人独特の〈信仰にかける思い〉の熱さを現代日本人にそのまま伝えきることは、決して容易ではないだろう。
そこで、終盤に拙が語った法話の一部を以下に抄出し、会の概要報告に代えさせていただく(原語はヒンディー)。

  如来無上正等覚、並びに菩薩聖者アンベードカル博士に帰命し奉る。
皆さん。今年はアンベードカル博士の御降誕から百二十五年、そして仏教復興宣言から六十年という、まさに歴史的な慶賀の年であります。私達仏教徒が各自の人生においてその瞬間に立ち会えることは、この上ない喜びであることは云うまでもございません。
しかし一方で、悲しいことも起きました。今日は17日ですよね。そう、三ヶ月前の一月、南インドのハイデラバード大学の学生ロヒート・ヴェムラ君がカースト差別によって自殺に追い込まれたのも、17日でした。ロヒート君はその遺書に「ジャイ・ビーム」と書いたのです。つまり私達と同じ仏教徒、私達の家族同然でしょう。今日は彼の月命日です。

そして、皆さんも既にテレビなどでご承知の通り、この日本の熊本県で大きな地震が起こり、おおぜいの尊い命が失われました。関東在住の皆さんは五年前、東日本大震災も経験されたでしょう。どうか仏教徒として、国籍や出身地を越えて、私と一緒にお祈りしてください…。
〈ナモ・タッサ・バガワト・アラハト・サムマ・サムブッダッサ=南無世尊応供正等覚を一同唱和〉
さて、伝統的な仏教では三学、戒(シーラ)・定(サマーディ)・慧(プラジュニャー)を立てますが、アンベードカル博士はそれを充分理解した上で、あえて言葉の本義に立ち返り、慧(Knowledge。教育)・戒(Morality。倫理)、そして悲(カルナー。Compassion。愛情)の三つを掲げました。当然ですが、学ばなければ倫理観も身に付かず、相手の立場になって物を考えることも出来ません。すなわち仏教とは、社会性、公共性なのです。個人が趣味でパズル・ゲームのように嗜むのも自由ではありましょうが、それは本来の意味から言って、仏教ではないのです。
例えば戒。皆さんよくご存知の五戒(パンチャ・シーラ)。…なあ、奥さんを愛してれば優しくするだろ?浮気したり、酒に溺れたりして、奥さんを悲しませたりしないだろ?
〈一同、笑〉
だからね、戒というのは相手あってのものなんだよ。Shila is the Love. 日本語っぽく言うなら、カイはアイ、なんだ。分かるよね?
最後まで聞いてくれてありがとうございました。ジャイ・ビーム!

※YouTube ショートムービー
《第125回アンベードカル博士生誕祭》

https://youtu.be/Ci1jlk2vxwE

《ダンス 三帰依文の歌》

https://youtu.be/knYGP-343P4

《菩薩生誕を祝う舞い》

https://youtu.be/9MQ-0YzRB_c

【写真上】現代インド仏教式の祭壇
【中】華麗なフィニッシュを決める天竺少女隊
【下】紺地に白い法輪紋を染め抜いた仏教旗を
振るパフォーマンスを披露した婦人部の面々。

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